独民法の性質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
ドイツ法思想とプロイセン法思想を同一視して独民法典を仏民法典の反動法とみるときは、民法典論争を経た仏法から独法への転換は日本の後進性の現れと理解される。 しかし、独法=プロイセン法とみることには批判もあり、ドイツの多様性や、プロイセンですら法文化は東西で大きく異なることを無視すべきでないとも主張されている。なおドイツ連邦共和国はプロイセン地方を一切領有していない(#ドイツ法学の理論状況)。 一方、仏民法の進化発展版とみるときは、明治民法が不徹底ながら独民法に依ったこと自体は肯定的に評価される。 我民法典は、ドイツ民法第一草案とフランス民法とを模範とし、其の長を採り短を捨て、速成の割合には完成した…ものである。しかし…幾度となく篩にかけられたローマ法の継受であったので、それはローマの社会の内部的秩序でもなく、中間の継受国ドイツの法律生活を規律した規範でもなかった。…凡(すべ)ての場合に妥当する普遍的な判決規範の継受であっ…た。 — 平野義太郎『民法に於けるローマ思想とゲルマン思想』1924年(大正13年) 旧通説の論者も、独民法(特に第一草案)は強烈な個人主義・自由主義の法典だったことを指摘(平野、星野)。両法典はどちらもローマ法・ゲルマン法・教会法の混合に近代精神を加味した民法典であり、仏法がその名に反してゲルマン法寄りなだけで、正反対の性質というわけではないと考えられるが、実態を無視して明治政府が独法=ゲルマン法系の保守法と解したのであれば、論争のイデオロギー的要素は否定できないことになる(#独法派の動向)。 なお近世以降のドイツ法に戸主権は存在しないが、戦後の歴史学者・教育者には明治民法の戸主権を独法由来と記述するものが散見され、旧通説との間で差異が生じている。
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