物理学を専攻
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1858年4月23日、当時ホルシュタイン公国に属していた港町キールに生まれた。。父のヴィルヘルム・プランクは法学者、母親のエンマはグライフスヴァルト出身で、牧師の家系である。エンマはヴィルヘルムにとって2人目の妻であり、2人の間には5人の子が生まれた。マックスは4番目の子である。さらにヴィルヘルムと先妻との間に2人の子があり、一家は9人で暮らしていた。 1867年、ヴィルヘルムはミュンヘン大学に招かれ、それに伴い一家はミュンヘンに引っ越した。当時9歳のマックスは、ミュンヘンのマクシミリアン・ギムナジウムのラテン語学級に転校した。少年時代のマックスは、叔母やいとこらと音楽会や山登りをするなどして過ごした。学校では品行方正で行儀よく勉強熱心であったため教師からの評判は良く、同級生の間でも人気だった。成績も優れていたが、天才と言えるほどの飛び抜けたものではなかった。物理学の分野ではエネルギー保存則について興味を示した。 少年時代、母親の影響から音楽、特にピアノ演奏に関しては特異な才能を示したが、その他にも数学や歴史、古典語学などに興味があり、進路を決めかねて音楽家に助言を求めたところ「助言が必要なくらいなら音楽はやめた方がいい」と言われ、音楽家の道をあきらめたとされる。また、物理学者のフィリップ・フォン・ヨリーからは、物理学は既に確立した「終わった分野」であるとして、プランクが熱力学分野に進むことに反対された。しかし1874年、17歳になったプランクはミュンヘン大学に進学した後、1878年にベルリン大学に転学し、物理学を専攻することになる。プランク本人は、科学の分野に向かったのは大学でグスタフ・バウアーの講義を聴いたのがきっかけで、数学でなく物理を目指したのは、「純粋に数学的な原理だけでは解けない自然現象の問題に、私が深い興味をもっていたからです」と述べている。 ミュンヘン大学時代には、兄弟と同じくアカデミー合唱協会(AGV)に入り、そこで知り合ったカール・ルンゲと親しくなった。また、友人たちとイタリアに旅行に出かけたりもした。
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