無党派・反ファシズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 00:42 UTC 版)
「東ドイツ文化連盟」の記事における「無党派・反ファシズム」の解説
ベッヒャーがモスクワ時代にすでに計画していたように、幹部クラスの共産党支持者は、1945年夏の政策議題には参加していなかった。連合の基礎綱領は、積極的に不偏不党的であった。「文化連盟……は、独立した超党派の運動である。文化連盟はそういうものとして設立されたのだし、そういうものとしてのみ、存在し、その課題をこなすことができる。文化連盟には未来がある。もし、党が重要なものへのどんな介入をも阻止するのなら、それは自己主張の行為であり、自己解決となるだろう」と、ベッヒャーは「ゾンターク」新聞に書いている。彼は間接的に、文化連盟のメンバーはドイツ共産党の戦士であることをカモフラージュした「『いわゆる』文化制作者」であると中傷する右翼の文化連盟に対する敵意に触れているのである。ベッヒャーは「これらの集団は、無責任に反ボルシェヴィズムの扇動を行い、新たに戦争を起こしたいという考える人びとであるということは明らかである」と反論している。 基本綱領の最初の文章は以下のとおりである。 ナチスという過去との対決は、最も重要な目的であった。そのため文化連盟の人事委員会は、主要戦争犯罪人に対するニュルンベルク裁判を歓迎した。しかし委員会はそれでは充分に満足しなかった。「犯罪集団の権力掌握に対して大きな責任をもつ被告人たちのなかで無罪になった人がいるということに我々は納得できない。……外国には、ナチスの上層部だけを排除すればよいというだけのひとがいることを危惧している」。最低限の措置として、文化連盟は、犯罪人の財産没収を要求した。 文化連盟設立の第二の目的は、「我々国民と若者たちの教育」であった。そのため、ハインリヒ・ディータース(Heinrich Dieters)とハインリヒ・シャハト(Heinrich Schacht)は、「教育マニフェスト」を作った。彼らによると連合メンバーのうちで教師の数は極めて少ない。マルク・ブランデンブルクでは少なくとも20.8%いるが、メクレンブルク・フォアポンメルンでは7.8%しかいない。 文化連盟における地域ごとの教育者の割合(1947年) マルク・ブランデンブルク州 20,8 % テューリンゲン州 14,01 % 大ベルリン 14 % ザクセン・アンハルト州 12,1 % メクレンブルク・フォアポンメルン州 7,8 %
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