炭素アーク灯
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炭素アーク灯(カーボンアーク灯、carbon arc lamp)は電極に2本の炭素棒を用いて両極間にアークを生じさせて光るようにした電灯である。弧光灯ともいう。 放電により加熱され、白熱し強い光を発する。照明に用いられる場合は強すぎる光を抑制するため、周囲を着色ガラス等で覆う。 炭素棒はアークを発生させると炭素蒸気を出しながら消耗していくため、始動後は電極の消耗に応じて電極間の距離を一定に調整する装置を要する。炭素棒を並行に並べることで、距離調整を不要とした電気ろうそく(エレクトリック・キャンドル)と呼ばれる形式も存在する(後述)。 炭素アーク灯は、1808年にイギリスの化学者ハンフリー・デービー(Humphrey Davy)が実験を行ったもので世界最初の電灯となったものである。デービーは1815年にはボルタ電池2,000個を電源とするアーク灯の実験を行い強い光を出すことに成功した。しかし、長時間電力供給可能な電源や電極間隔の改善などの問題がありすぐには実用できなかった。アーク灯が最初に実用化されたのは1862年のことでイギリスのダンジネス灯台とされている。 19世紀後半、街路灯に用いる電気照明としてアーク灯はもてはやされていた。1878年のパリ万国博覧会ではパーヴェル・ヤブロチコフの電気ろうそくが注目を浴びた。しかし、アーク灯は花火のような灯りでバチバチという音も伴うもので屋内の照明にはまぶしすぎるものだった。 日本では、1878年3月25日に、工部大学校教師英人エアトンが、電信中央局開業祝宴開場の同校ホールで、グローブ電池を使用してアーク灯を点火した。1882年に、東京電燈会社設立事務所が、開業の前景気に、銀座大倉組前で2000燭光のアーク灯を点灯し、市民が驚嘆し、徹夜でおしかけた。歌川重清はその様子を「東京銀座通電氣燈建設之圖」という錦絵として描いており、これには「電氣燈ハ米圀人ノ新發明ニシテ他ノ火ヲ点スルニ非スシテ一ノエレキ器械ヲ以テ火光ヲ發シ其光明數十町ノ遠キニ達シ恰モ白晝ノ如シ實ニ日月ヲ除クノ外之ト光ヲ同スルモナシ」という解説文が付いている。1883年4月に、海軍省所管の横須賀造船所でブラッシュ発電機によってアーク灯を点火し、作業に利用した。1884年、大阪道頓堀中座で、舞台照明用のアーク灯6基を点じ、話題となる。1886年9月20日に、大阪紡績が、夜間作業の照明にランプではなくアーク灯を利用し、これは民間の電灯使用の初めである。 アーク灯の光は強烈で紫外線を多く含み、屋内照明には不向きだったため、フィラメント(繊維)に大量の電気を流すときに白熱して発光する原理を利用する白熱電球が注目されるようになった。
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