灯台及び女島の歴史とは? わかりやすく解説

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灯台及び女島の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 19:12 UTC 版)

女島灯台」の記事における「灯台及び女島の歴史」の解説

女島航空写真(上が北)。中央下側赤丸位置女島灯台がある。 女島は、遣唐使(南路)を派遣した時代では、大陸日本列島との間にある一つ島として目標とされていたことからも分かるように、航海要所であった。 そんな女島見上げるような断崖続き一年通して海上平穏ではなく近づきがたく上陸しにくい島であり、この灯台建設するのは非常に骨が折れたという。1925年大正14年6月2日着工した工事は、1927年昭和2年7月8日完工見て同年12月1日に初点灯した。ところは女島南端屏風ヶ浦100 m あまりの断崖の上である。工事は、船着場道路整備から始まり資材運搬と、ここでは全て人力であった工費は、当時の額で約15万円大瀬埼灯台工事比べても、よりハードなのだったのがうかがえる1927年昭和2年12月に、日本灯台における最初公衆電報取扱電信局がおかれ、1941年昭和16年10月1日には、無線方位信号所設置されさらには1956年昭和31年6月1日には船舶気象通報業務加えて、この灯台重要度大いに増すこととなった電信局無線方位信号所業務廃されたが、今でもここで観測される気象データは、気象庁送られ活用されている。 全国最後の、灯台守呼ばれる職員勤務する灯台であった1997年平成9年)には、中華人民共和国から違法操業漁船乗って上陸してきた密入国者と、灯台守をしていた海上保安官とが対峙し、密入国者が海上保安庁検挙される事件があった。[要出典]2006年平成18年11月12日より自動化された。また、2006年12月5日からは残務処理も終了したため無人灯台となった

※この「灯台及び女島の歴史」の解説は、「女島灯台」の解説の一部です。
「灯台及び女島の歴史」を含む「女島灯台」の記事については、「女島灯台」の概要を参照ください。

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