漂流実験とは? わかりやすく解説

漂流実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:04 UTC 版)

トール・ヘイエルダール」の記事における「漂流実験」の解説

1947年当時ポリネシア島々住人ポリネシア人)の起源は謎とされており、ヘイエルダール自身調査行ったその結果南米ペルーにある石の像とポリネシアにある石の像が類似していること、植物の呼び方似ていることなどを踏まえポリネシア住人起源南米にあると論文発表した。しかしこの説は学会からの反対にあった。当時技術では船で行き来することなど不可能であるというのがその理由だった。 1947年ヘイエルダールとそのチームは、南米バルサ材およびその他の地元材料用いインカ帝国時代の船を模したコンティキ号建造しペルーからイースター島への航海挑戦した巨石文化インカ帝国から海を渡ってイースター島伝えられ、同島に残るモアイ像作られたことを実証しようとしたのであるコンティキインカ帝国太陽神ビラコチャの別名で、いかだはインカ帝国征服した当時スペイン人たちが描いた図面元に設計された。 コンティキ号1947年4月28日に5人の仲間と1羽のオウムと共に出航し曳航船によってフンボルト海流越えた後は漂流しながらイースター島目指した。一行出航から97日目に、トゥアモトゥ諸島プカプカ環礁英語版)を望見ポリネシアにたどり着いたが、出航102日目1947年8月7日トゥアモトゥ諸島のラロイア環礁コンティキ号座礁したヘイエルダール1948年漂流航海模様をまとめた著書コン・ティキ号探検記』を発表同書62国語翻訳され2000部以上のベストセラーとなったまた、彼らの航海描いた長編ドキュメンタリー映画Kon-Tiki』は、1951年アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。 「漂流」には、当時1940年代)の航法機器ボートなども使用していた。また、アマチュア無線によりノルウェーを含む世界各国との交信行っていた(コンティキ号#概要)。食料に関しては、実験名目アメリカ軍から提供され保存食の他は海中から得たヘイエルダールは、「インディオ航海技術立証するのが目的で、我々がインディオになる必要は無い」と述べていて、最初保存食用意して航海に臨むつもりだったようである。「筏のロープが波で擦り切れる」とか「バルサ吸って沈没するはず」など、航海前に出され否定的な意見覆したことで評判呼んだ。ただし、建造を急ぐため乾燥していないバルサ使ったのが偶然に吉と出て乾燥したバルサ使っていれば、海水吸収早くて沈没していた可能性があるとヘイエルダール認めている。 1964年には、南太平洋探検の功績に対して王立地理学会から金メダルパトロンズ・メダル)を贈られた。

※この「漂流実験」の解説は、「トール・ヘイエルダール」の解説の一部です。
「漂流実験」を含む「トール・ヘイエルダール」の記事については、「トール・ヘイエルダール」の概要を参照ください。

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