滋賀での水利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:53 UTC 版)
前述のとおり、琵琶湖湖岸域では弥生時代ごろから稲作がおこなわれていた。田畑よりも低い位置にある琵琶湖の水は使いにくかったため、昭和中ごろまで琵琶湖の水を農業や生活に利用することは少なく、もっぱら琵琶湖への流入河川や井戸の水を利用してきた。これらの河川の水量は琵琶湖に比べると少なく、また扇状地であるため伏流水化しやすい地形が多く、甲良町など農業用水の確保に問題を抱える地域も多かった。 琵琶湖に隣接する湿地帯においては、傾斜が緩いため通常の灌漑が困難であったが、琵琶湖や内湖(ないこ)の水を利用した水田の開発が歴史的に試みられてきた。形成期においては、泥田(超湿田)が広く見られたと推測され、次いで跳ね釣瓶や縄をつけた桶による直接取水もおこなわれるようになったと推測されている。その後遅くとも近世中期(中世にまで遡れる可能性もある)までには、ホリと呼ばれる水路や「蛇車(じゃぐるま)」と呼ばれる足踏み式の水車などの揚水機を用いた逆水灌漑がおこなわれるようになる。また、琵琶湖と内湖(ないこ)ないしホリとの境界部に堰や閘門を設けて水位を上昇させる方法も用いられており、これは明治時代に南郷洗堰が築造され琵琶湖の水位が低下したことに伴い採用された例が多いと推定される。1904年(明治37年)以降はポンプにより琵琶湖から内湖(ないこ)に揚水する方法も用いられるようになっていった。なお、大正年間の調査に基づくと、逆水灌漑の分布は湖南・湖東に多く、平地の傾斜が大きい湖北・湖西では少なかった。 昭和30年代ごろには上水道の普及が始まり、以降湖水の利用量は増えていくことになる。滋賀県では1980年ごろから2000年ごろにかけて、人口の増加などの要因により湖水の利用が大幅に増え、2019年時点における上水道の主要な水源は琵琶湖の水となっている。また、農業水利においては1970年代以降、大型ポンプを備えた施設で湖から水を汲み上げ、パイプラインで農地に配水する逆水灌漑による湖水の利用が増加した。牧野厚史 (2001, pp. 205–206) は、このような水利用は利用者から見えにくく、生活と水循環の関係に思いを馳せることが難しくなっていると指摘し、八幡堀の保存活動などは、単なる資源としての水利用に留まらない水問題への地域固有の解決策の方向を示しているのではないかと述べている。
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