海外での公開
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「借りぐらしのアリエッティ」の記事における「海外での公開」の解説
フランスでは2011年1月12日、台湾では2011年1月14日から公開。イギリスでは『The Borrower Arrietty』のタイトルで2011年7月29日に公開、北米では『The Secret World of Arrietty』のタイトルで2012年2月17日よりディズニー配給で公開、吹き替えもアリエッティ役をイギリス版ではシアーシャ・ローナン、北米版ではブリジット・メンドラーと別に配役がされている。 北米では当時最高だった『崖の上のポニョ』を上回る全米1522館一斉封切りが行われ、オープニング興収640万ドル、最終的な興行収入は約1900万ドルを記録。いずれもジブリ作品としては『崖の上のポニョ』を上回り、最高記録となっている。
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海外での公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 20:59 UTC 版)
「十字路 (1928年の映画)」の記事における「海外での公開」の解説
衣笠は本作の完成後、パリの貿易商である槌谷茂一郎からフランスでの上映配給権を譲ってほしいという申し出を受け、衣笠は彼にプリント1本を預けて一切を委ねた。槌谷の配給により、1929年(昭和4年)2月8日から3月21日までパリの劇場ステュディオ・ディアマンで本作が上映され、大藤信郎のアニメーション映画『珍説吉田御殿』(1928年)などが同時上映された。本作はフランスで劇場のメインプログラムとして公開された最初の日本映画となった。槌谷はパリでの公開時に藤田嗣治に舞台挨拶をさせたが、藤田は何も話すことがなかったため日本の映画館について話したという。 1928年6月に衣笠は本作を携えて渡欧し、8月にソビエト連邦経由でドイツへ向かった。衣笠は本作をドイツで公開するため、まずウーファ社と会談するが話が進まず、ドイツに滞在中の千田是也の手助けを受けながら多くの配給会社に売り込んだ。またフリッツ・ラングが本作を見ることを希望したため、ウーファ社の撮影所で試写会を行ったが、すでに日本で訳したドイツ語字幕が態をなしていないと指摘され、ドイツ語字幕を改訂することになった。その後検閲当局に「芸術映画」として認められたことで配給会社が見つかり、ヨーロッパ各地で売り込むことも決定した。そこで配給用プリントを作成するため、衣笠は日本からネガフィルムを取り寄せた。 ドイツでの公開は、1929年5月17日にベルリンの劇場ウーファ・パビリオンで行われた。タイトルは『ヨシワラの影(Im Schatten des Yoshiwara)』と改められ、本作のための伴奏音楽が作曲された。しかし、この前年に怪しげな日本の風俗が出てくるドイツ映画『ヨシワラの一夜(英語版)』が公開されたこともあり、一部のベルリン在留の日本人が本作をこれと同類の映画だと決め込み、「国辱映画」であるとして上映中止を求める騒ぎが起こった。上映は好評を博し、ドイツの配給会社を通じてイギリス、アメリカ、イタリア、スイス、スウェーデンなどでも上映契約が結ばれ、欧米各国で封切られることになった。
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