浄円寺とは? わかりやすく解説

浄円寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:05 UTC 版)

浄ノ池特有魚類生息地」の記事における「浄円寺」の解説

浄の池じょうのいけ)の所在地は、静岡県田方郡伊東町須美(くすみ)区井戸川466番地の3(現:伊東市和田1-4-20)、2019年現在医療法人社団望洋横山医院の建つ場所(地図)であり、今日伊東駅伊東市役所伊東港3点囲んだ伊東市地中央の住宅密集地に位置していた。 浄の池所有者は、この池より東南東へ約300メートル離れた場所に所在する浄土宗寺院浄円寺(旧字表記は淨圓寺。伊東町須美179、現:伊東市和田2-3-1地図)であり、浄の池は同寺院所有であった。浄円寺は古く伊豆半島中央部賀茂郡冷川(現:伊豆市東部)にあり、天正年間伊豆東岸岡村(現:伊東市内の岡地区)へ移転された。しかし当地狭隘であったことから寛永元年再度岡村より海寄り和田村移転し和田村多く土地寺領とした。 この和田村浄の池所在していた現:伊東市和田地区であるが、この付近一帯当時田畑もない荒れ果てた土地であった。そこに自然の池、もしくは微温湯湧出する水溜りがあったのかは不明であり、浄の池成因由来についてはっきりしていない。 以下に示す文書浄の池一帯土地まつわる浄円寺に残されている古文書文面である。 名台之永荒廢間ニ不罷成候間如貴寺御望井出志摩守其斷申心得候尤之由被申候間御屋敷建立普請候而御作事可被成候悉細和田百姓中ヘ申渡候間可御心易候門前之儀相渡申候間相違有間敷爲其一筆如此候仍如件 慶長十三七月十六日 觀 譽 殿 金吾左衛門花押 古文書内容は、浄円寺が和田地区への移転希望する旨の願い出対する、三島代官駿府町奉行井出志摩守(井出正次側から許可返答である。また花押にある金吾左衛門とは、井出正次家臣である。このような経緯により、浄の池周辺和田地区一帯17世紀前半に浄円寺の寺領となり、当地寺院移転造営された。 しかし元禄16年11月23日1703年12月31日)に発生した元禄関東地震海嘯津波)により、庫裏以外の堂宇流失してしまったため、八世観誉によって少し山側寺院再建された。これが今日の浄円寺の位置である。流失した堂宇のあった境内一帯は、その後幕末の頃まで荒れるがままに放置されていたという。幕末頃より当地周辺民家建ち始め荒れ果てた旧浄円寺の境内にあった池は誰ともなくこの頃より浄の池呼ばれるようになった浄の池名称の由来このように「浄円寺の池」の意味である。だが、前述経緯により池の所在地旧境内域)と再建され寺院境内直接隣接しておらず、かつ両者の間は明治期以降急速に家屋が立ち並び住宅密集となったため、一見しただけでは当寺院と当池との関連性分かり難いものであった

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