流行唄としての炭坑節とは? わかりやすく解説

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流行唄としての炭坑節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 17:29 UTC 版)

炭坑節」の記事における「流行唄としての炭坑節」の解説

戦前座敷唄レコード発売されてから、東京方面炭坑節流行するようになり、節回し変化して現在盆踊りでよく唄われ炭坑節になった1948年昭和23年11月にはコロムビアレコード赤坂小梅ポリドールレコード日本橋きみ栄テイチクレコード美ち奴キングレコード音丸炭坑節レコード吹き込んだが、赤坂小梅のみが座敷唄節回しであり、あとの3人は流行唄の節回しで唄っている。各社ともレコード大ヒットし、当時傾斜生産方式による石炭増産風潮もあって知名度高まった炭労総評基幹労組だった昭和30年代には、春闘炭労幹部団交のため上京して夜の銀座バー乗り込むジャズワルツ演奏止めて炭坑節演奏したという逸話がある。さらに炭坑節をもとにした「新炭坑節」「新々炭坑節」「月が出た出た」という歌謡曲作られいずれも久保幸江霧島昇によって唄われヒットしている。 炭坑節大流行する中で、一部出版物歌詞カード誤記があったことから、福岡県大牟田市三井三池炭鉱1997年3月30日閉山)で生まれたという誤解広がったまた、伊田町後藤寺町との間でどちらの炭坑節元祖かという論争過熱した。この論争は、伊田元祖ということで一応は決着ついている歌詞中の煙突は現在も田川石炭記念公園保存されている三井田川炭鉱二本煙突事と言われている。 全国各地盆踊りでのスタンダードとなっているものは、鈴木正夫歌ったものが各地自治会の間などでのカセットテープによるダビングであるケースが多い。福岡県筑豊では、三橋美智也の歌うものが演奏され夏祭り最後を飾る。 またプロ野球埼玉西武ライオンズ前身福岡本拠地を置く西鉄ライオンズだったため、現在でも炭坑節チーム勝利した際に応援団演奏する。 ※なお、炭坑節発祥について筑豊地域以外にも諸説ある。 一説として『日本のうた 第一集 明治大正』P.221によれば浪花節から派生した俗曲奈良丸くずし」(大正2年) の三番歌詞「月が出た出た月が出た/セメント会社の上出た/東京にゃ煙突が多いから/さぞやお月様たかろう」は東京江東区での煙突が並ぶ風景歌い、のちの炭坑節の元となった。とする。

※この「流行唄としての炭坑節」の解説は、「炭坑節」の解説の一部です。
「流行唄としての炭坑節」を含む「炭坑節」の記事については、「炭坑節」の概要を参照ください。

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