派遣決定と出動準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:25 UTC 版)
「マリアナ海域漁船集団遭難事件」の記事における「派遣決定と出動準備」の解説
連絡会議を踏まえて、9日夕刻、三輪良雄防衛事務次官から西村友晴海上幕僚長に対し、海上自衛隊の部隊の派遣について検討するよう連絡があった。この時点で、既に自衛艦隊司令部では災害派遣に備えた検討を実施しており、派遣可能な部隊は第9護衛隊(あやなみ、うらなみ)、第5護衛隊(あさかぜ、はたかぜ)、給油艦「はまな」及び航空集団所属のP2V 6機である旨、海上幕僚監部に通知していた。午後8時35分、自衛艦隊司令官(石黒進海将)は、海上幕僚監部との調整結果に基づき、直率の第9護衛隊(司令:高田敏夫1佐)及び第5護衛隊(司令:名越有幸1佐)に対して災害派遣準備を命ずるとともに、自衛艦隊司令部では、航空機派遣のため、グアムのアガナ海軍航空基地の使用について、在日米海軍司令部を通じて交渉を開始した。 午後9時10分、海上保安庁長官から部隊派遣の要請があり、マリアナ沖の遭難漁船乗組員の捜索救難に関する海上自衛隊行災命が発令された。次いで、自衛艦隊行災命に基づき、第1護衛隊群司令(橋口百治海将補)を指揮官として、第5・9護衛隊をもって水上捜索任務群が編成され、準備出来次第出港、捜索海域に向かうこととなった。各艦は、横須賀・佐世保各地方隊の支援を受けて、乗員の警急呼集、燃料真水及び生糧品等の急速補給を実施した後、第5護衛隊は10日午前1時に佐世保を、第9護衛隊は同日午前2時20分横須賀を、それぞれ出港して現地に向かった。またこの際、第9護衛隊には報道関係者12名が便乗した。 一方、航空集団司令部では、海上幕僚監部及び自衛艦隊司令部と調整のうえで、下総の第4航空群(群司令:岡島清熊1佐)、八戸の第2航空群(群司令:内田泰1佐)に出動準備を下令した。準備は迅速に進み、10日未明には第4航空群(第3航空隊)のP2V-7 6機が発進準備を完了、これと前後して第2航空群(第2・4航空隊)のP2V 4機が逐次下総航空基地に進出して出動準備を完了した。しかしこれら航空部隊の派遣については、米国からアガナ基地の使用許可があってから発動する方針で、9日夜以来、海上幕僚監部はMAAG、自衛艦隊司令部も在日米海軍司令部を通じてそれぞれ折衝を行っていたものの、なかなか許可が出ず、一時は無許可のまま発進することも検討された。 10日午前7時前になって、ようやく米軍からアガナ基地の使用許可について連絡があり、航空集団に対する海上自衛隊行災命が発令されて、航空集団司令部から派遣された矢板康二1佐を指揮官とする航空捜索救難任務隊(P2V-7×6機: いずれも3空所属機)、および航空集団司令官(相生高秀海将)直率の航空輸送任務隊(P2V-7×4機: 2・4空所属機)が編成され、10日午前8時過ぎより、順次に下総航空基地を発進してグアムに向かった。なおこの災害出動に際し、特例として、出国手続、税関手続及び検疫手続(帰国時は下総で実施)は省略された。 現地到着後、航空捜索救難任務隊指揮官は、直ちに米軍統合捜索救難中枢(JSARCC)を訪問し、米側指揮官から7日以降の捜索状況の説明を受けるとともに、翌日からの日米捜索計画について打合せを行った。翌11日早朝より、航空捜索救難任務隊の6機のP2V-7は捜索活動を開始した。一方、水上捜索任務群の第1護衛隊群(第9護衛隊)は12日午前10時50分、第5護衛隊は13日午前2時20分に、それぞれ現地に到着し、それぞれ直ちに捜索活動を開始した。
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