洋芝コースの設置とオーバーシードの技術開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:48 UTC 版)
「札幌競馬場」の記事における「洋芝コースの設置とオーバーシードの技術開発」の解説
1988年(昭和63年)までの札幌競馬場には、中央競馬を開催する競馬場としては唯一、芝コースがなかった。従来、JRAの競馬場における芝コースでは冬季に枯れて休眠する性質を持つ暖地型芝(野芝)を使用していたため、冬季の冷え込みが厳しく積雪量も多い札幌では、野芝を植えても「ただ生えているだけ」の状態で馬場に使用することができず、芝コースの設置は道内でも比較的温暖な函館競馬場が北限とされていた(ただし、函館での野芝の育成は本州と比べ倍の時間を要した)。 しかし、札幌と同様に冷涼な気候の欧米では芝の競馬が行われていることから、JRAでは1977年(昭和52年)より競走馬総合研究所が中心となって札幌競馬場の気候条件に適した天然芝の研究・開発に着手し、寒さに強い性質を持つ複数の洋芝を用いた馬場生育法を確立。これにより、札幌競馬場でも芝コースの設置が可能になったことで1989年(平成元年)に外回りダートコースを改修し、ケンタッキーブルーグラス・トールフェスク・ペレニアルライグラスの3種類を混生させた100%洋芝の芝コースを新設。その後、1994年(平成6年)には函館競馬場でも芝コースを洋芝に変更するコース改修が行われた。なお、1989年(平成元年)のJRA札幌競馬は芝を育成・保護するため新ダートコース(旧内回りダートコース)のみで行われ、芝コースの運用開始は1990年(平成2年)からとなった。 芝コースの土台となる路盤も、洋芝に適した構造の研究を進めた。従来、競馬場の芝コースにおける路盤はしっかり締め固められた山砂層の上に黒土の肌土を置き、その上に芝を張るのが常識とされ、雨が降っても黒土層より下に蹄が潜らないうえ、芝の管理にも適した路盤構造とされていた。その反面、ひとたび雨が降るとゴール前では馬も人も泥で真っ黒になる事態も発生した。このような悪条件を解消するために吸水ローラーが開発されたりもしたが、札幌競馬場の路盤はそれすら必要とせず、馬場全体を均一に保つことができる画期的な馬場構造を実現した。また、札幌競馬場の芝コースは非常に水はけがよいため、芝コースの馬場状態が「重」になることは少なく、「不良」まで悪化したことは2019年(令和元年)まで一度もない。その後、他のJRA競馬場でもこれを応用した馬場構造が採用されたほか、後述のオーバーシード法とともに、天然芝を用いるサッカー場の構造にも応用されている。 一方、JRAではもう一つの課題として、「芝コースの通年緑化」という悲願もあった。1981年(昭和56年)にジャパンカップが東京競馬場に創設されたが、当時東京競馬場の芝コースは野芝のみを使用していたため、ジャパンカップの施行時期に当たる11月下旬には野芝が冬枯れし、芝コースも茶色くなっていた。第1回ジャパンカップで招かれた外国の関係者が茶色くなっていた東京競馬場の芝コースを見た際「どこに芝馬場があるの」などと言われ、これがJRAに芝馬場の通年緑化を決意させたきっかけとされる。その後、1986年(昭和61年)から競馬学校やトレーニングセンター(美浦・栗東)の芝馬場を使った調査試験に着手し、暖地型の野芝の上に寒地型の洋芝の種を秋にまいて発芽させる「冬期オーバーシード法」の技術が確立された。最初に実用化されたのは1991年(平成3年)の阪神競馬場で、1995年(平成7年)までに札幌と函館を除くJRAの8競馬場、美浦・栗東の各トレーニングセンターにおいても芝馬場の通年緑化が実現した。その後、各競馬場の開催時期に合わせた3種類のオーバーシード法が導入され、工夫や改良が施されている。
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