法曹界にて
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司法修習修了後は当初、弱者救済のための弁護士志望だったものの、中央大学の先輩の薦めで1984年検事に任官。同期に東京地検次席検事・堺徹、元東京地検特捜部副部長・北島孝久等がいた。 和歌山市長の汚職事件では、釈放間際に旅田卓宗から自白を引き出した。また東京地検特捜部検事時代に手がけたオウム真理教事件で、幹部の土谷正実からサリンの製造方法の供述を得るなど、大きな事件で重要な供述を引き出した。2006年には裁判所から判決で脅迫まがいの取り調べがあったなどと批判された。 法務省保護局総務課長、大阪地検特捜部副部長を経て、2005年には神戸地検特別刑事部長に就任し、渡部完宝塚市長の収賄を摘発するなどの成果をあげた。 被疑者と向き合って自白を引き出す手腕は「割り屋」と評された。 2007年から京都地検刑事部長を務め、2008年には大阪地検特捜部長に就任。障害者団体向け割引郵便制度悪用事件などを手掛け、前田恒彦や上田敏晴を重要事件の主任検事に抜擢して重用した。
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法曹界にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 14:21 UTC 版)
企業法務、外国投資、国際取引、国際金融・証券、国際倒産といった分野を専門とする。具体的には、サムライ債の発行、国外投資信託の発売、国外企業の株式や債券の発行をはじめとする案件に携わった。また、国外市場における日本の証券会社の引受主幹事業務や、日本企業のユーロドル建転換社債の発行などといった案件も手掛けてきた。1975年、濱田松本法律事務所を設立した。1981年4月、第二東京弁護士会の副会長に就任した。また、1991年4月には、環太平洋法曹協会の会長に就任した。2001年5月、最高裁判所判事に任官。2006年5月に最高裁判所判事を退官し、弁護士再登録。なお、自身が設立した濱田松本法律事務所は、2002年に森総合法律事務所と合併し森・濱田松本法律事務所となっていたことから、最高裁判所判事退官後は同事務所の客員弁護士となる。2007年には旭日大綬章を受章している。2011年、日比谷パーク法律事務所に転じ、客員弁護士となった。 また、京浜急行電鉄、エスアイピー・フィナンシャル・グループ、ストラテジック・アイアール・インサイトにて、それぞれ社外監査役を務め、日本コアパートナー、くにうみアセットマネジメント、くにうみ森林発電にて社外取締役を務めた。
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