河東峠の戦いとは? わかりやすく解説

河東峠の戦い(第29連隊第3大隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)

釜山橋頭堡の戦い」の記事における「河東峠の戦い(第29連隊第3大隊)」の解説

詳細は「河東峠の戦い(英語版)」を参照 アメリカ軍29連隊英語版)は沖縄兵員充足の状態にあったが、7月12日に「6週間訓練受けた後に」朝鮮半島移動する予定命令受けた。しかし第8軍援軍要請により実戦投入前に訓練を行う時間余裕はなかった。 7月20日アメリカ本土から到着した新兵400名で第1・第3大隊定員(883名)に充足させると、7月21日には「釜山10日間の訓練を行う」予定で第1・第3大隊のみの編成那覇出発した7月24日釜山到着したが、受領した火器調整点検などを3日間の訓練期間に行うはずが、直ち晋州前進し24歩兵師団指揮下に入る命令を受け、点検行わず列車出発した7月25日午後に晋州到着すると、第19連隊英語版)(ムーア大佐)の指揮の下、第1大隊ウィルソン中佐)は安義地区防御を、第3大隊モット中佐)は北朝鮮軍接近経路集約になっている河東ハドン)の奪取を命ぜられた。 河東攻撃晋州防衛のための時間稼ぎのためであった第3大隊長モット中佐は、砲兵援護もなく兵員訓練不足のため、進撃せず防御戦を行う意見だったがこれは容れられなかった。第3大隊7月26日午前0時30分に晋州出発したが、中途北朝鮮軍大部隊が存在する情報得た。副大隊長のライブル少佐再度防御戦の具申行ったが、ムーア大佐には認められなかった。 第3大隊行軍中に戦術航空統制班が追加され7月27日空軍が行河東爆撃の後に攻撃開始することとなった。しかし行軍中に北朝鮮第6師団方虎山少将)の待ち伏せ攻撃にあった北朝鮮第6師団河東付近兵力二分し一部河東へ、主力河東峠に配置してアメリカ軍待ち伏せていた。高地からの待ち伏せ攻撃による最初一撃大隊本部過半将校負傷した大隊には朝鮮戦争開戦時韓国陸軍参謀総長6月30日解任され蔡秉徳少将通訳ガイドとして同行していたが、蔡少将もこのとき戦死した。これは朝鮮戦争初期国連軍将官被害ディーン少将に続く2人目の被害であった戦術航空統制班の無線車や大隊指揮車破壊され指揮官失った部隊潰走した。

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