母性憧憬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:43 UTC 版)
1934年(昭和9年)2月、東京市品川区五反田の霞荘に転居するが、やがて経済的な破綻から憂鬱に陥り、単身、小田原に帰る。年少からの友人・瀬戸一彌の好文堂書店に滞留したりする。3月、「女に臆病な男」を雑誌『オール讀物』に発表。4月、「月あかり」を雑誌『文藝春秋』に発表。7月、「木枯の吹くころ」を雑誌『新潮』に発表。「病状」を雑誌『文學界』に発表。8月、「剥製」を雑誌『文藝春秋』に発表。作品の雰囲気は暗く、主人公が愛馬ゼーロン(作中ではZとして登場)から振り落とされて踏みつけられるという悲惨な場面が描かれる。また、主人公の夢に母の像が繰り返し現れ、母への慕情も見られる。秋ごろ、上京する。10月、「早春のひところ」を雑誌『早稲田文学』に発表。11月、「創作生活にて」を雑誌『新潮』に発表。12月、「鬼涙村」を雑誌『文藝春秋』に発表。夢想は暗く、「猜疑心と怯え」が横溢しており、牧野は「人間存在の不安」を丹念に書き上げようとしている。 1935年(昭和10年)1月、横須賀市山王町の義弟・浅尾辰雄方に行く。三浦半島周辺を泊り歩いたり、横須賀と五反田霞荘とを往き来した年であった模様。2月、「痴日」を雑誌『経済往来』に発表。3月、「裸虫抄」を雑誌『新潮』に発表。「繰り舟で往く家」を雑誌『若草』に発表。7月、「文学的自叙伝」を雑誌『新潮』に発表。8月、小川和夫との共訳でポーの『ユリイカ』を芝書店より刊行する。牧野をモデルにブロンズの胸像「マキノ氏像」 を作製した親友・牧雅雄(彫刻家)の訃報を知り、8月19日に追悼会をする。10月、「好色夢」を雑誌『中央公論』(50周年記念号)に発表。12月、「茜蜻蛉」を雑誌『新潮』に発表。「淡雪」を雑誌『文藝春秋』に発表。この作品には、“母性憧憬”が結晶した世界が表れている。「熱海線私語」を雑誌『日本評論』に発表。この年は、随筆や月評などの仕事が目立つ。妻・せつとのトラブルから五反田の霞荘を引き払い、鈴木十郎の東京市本郷区駒込浅嘉町の家の2階に寄宿。このトラブルは、せつが牧野の浮気を本気と誤解した面もあるという。
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