殺人容疑者
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殺人容疑者 | |
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監督 | 鈴木英夫 船橋比呂志 |
脚本 | 船橋比呂志 |
原案 | 高峯秀雄 |
製作 | 大條敬三 |
出演者 | 丹波正三郎 石島房太郎 小林昭二 土屋嘉男 |
音楽 | 齊藤一郎 |
撮影 | 植松永吉 |
製作会社 | 電通DF=新東宝 |
配給 | ![]() |
公開 | ![]() |
上映時間 | 80分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
『殺人容疑者』(さつじんようぎしゃ)は1952年8月21日に新東宝が配給した日本の半ドキュメンタリードラマ映画。鈴木英夫監督が途中から不在となり、撮り残した部分を船橋比呂志が監督を務め完成させた作品である[1]。
概要
警視庁、科学捜査研究所の協力のもと、セットを組まず、実物の警察署、拳銃や牢獄が使用された[1]。またこの作品が製作された時点では新劇出身の無名に近い俳優のみが起用された[2][3]。電通DFプロの製作、配給は新東宝。1959年には改題縮尺版が『殺人犯 絶体絶命』と題して上映された[4]。
丹波哲郎の俳優デビュー作品[5][6]、丹波正三郎名義で出演した。また当時は俳優座の研究生であった土屋嘉男と[1]、小林昭二もこの作品で映画デビューを果たしている[2]。
丹波が演じる役柄は山形勲で決定していたが、病気を理由に山形が出演出来ず、たまたまその旨を伝えに来た丹波が抜擢された[1][7]。
ストーリー
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キャスト
出典
- ^ a b c d “鈴木英夫〈その11〉 インタビュー:土屋嘉男”. 映画の國. 2022年7月10日閲覧。
- ^ a b “小林昭二 略歴”. 映画DB. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “殺人容疑者”. Movie Walker. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “殺人容疑者”. 新東宝データベース. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “デジタル版 日本人名大辞典+Plus「丹波哲郎」の解説”. KOTOBANK. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “丹波哲郎生誕100年 10作品上映”. 朝日新聞. 2022年7月10日閲覧。
- ^ 『大俳優 丹波哲郎』ワイズ出版 2004年5月 p.82-83 ISBN 978-4898301708
外部リンク
殺人容疑者
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「ジョック・ブロートン (第11代準男爵)」の記事における「殺人容疑者」の解説
1940年11月に若妻ダイアナと共にイギリス植民地ケニア(英語版)へ移住。マセジア・カントリー・クラブの社交界でダイアナは第22代エロル伯爵ジョスリン・ヘイと恋に落ちた。ブロートンには妻に毎年5000ポンド与えるほどの財力は残されていなかったうえ、高齢になって二人目の妻を手放して孤独になりたくなかったという。しかし前述の約束があったので外見的には平静にこれを受け入れた。 1941年1月23日にエロル伯とダイアナとブロートンでお別れパーティーが催された。この場でブロートンは「幸せなカップルに」乾杯している。その後、エロル伯とダイアナはダンスへ出かけたが、この時にブロートンは午前三時までには妻を帰宅させてくれとエロル伯に頼んだ。エロル伯はこの約束を守り、午前二時半にダイアナをブロートンの邸宅に送り届け、その後、自身は自動車で帰宅した。 この半時間後、ブロートン邸から五キロも離れていない場所で、二人の黒人が片輪が排水溝に落ちた自動車を発見。車内にはエロル伯の遺体が残されていた。死体安置所に運ばれた後、左耳の傷を洗浄した際に銃痕が発見され、事故死ではなく殺人であることが判明した。 事件を担当したアーサー・ポピー警視はブロートンの知り合いだったが、ブロートンを容疑者として疑った。ブロートンが近くの農場で射撃練習しているという情報を掴み、弾丸と使用済み薬莢を捜索させた。その結果、エロル伯の脳に残された弾丸や自動車に残された弾丸と同じ32口径の弾丸が発見された。ブロートンはエロル伯殺害事件の三日前に32口径のコルト・リボルバーの盗難届を出していた。さらにエロル伯殺害事件の翌朝、ブロートンが庭のゴミ処理場でゴミを石油で焼いているのが目撃されている。そのゴミ処理場からはゴルフ・ストッキングの燃え残りが発見されたが、それには血痕が付着していた。さらにジム・シューズの燃えカスも発見され、犯行現場で使用された物のように思われた。ポピーは次のように推理した。ブロートンはエロル伯がダイアナに別れを告げている間にこっそりと家を出てエロル伯の車の中に隠れ、エロル伯が車のスピードを落としたのを見計らって、彼を射殺。自動車は衝突して溝に落ちた。ブロートンは歩いて自宅に戻り、窓から部屋に戻ったということである。これに対してブロートンはその晩ずっとベッドにいたと主張した。 1941年3月10日に逮捕され、5月26日から公判が始まったが、検察の主張はすぐに行き詰った。エロル伯を殺害した銃弾には五本の右向きの溝があったが、盗難が届け出られたコルトでは六本の溝ができるはずだった。射的場で発見された銃弾は検察の主張を裏付けるものではなかったことから結局無罪となった。 しかし妻ダイアナはブロートンがエロル伯を殺害したと疑い、二人の関係は悪化して離婚に至った。ブロートンは1942年にイギリスに戻った後、保険会社詐欺の容疑で逮捕された。彼は1938年に疑問点が多い二件の窃盗事件に遭い(一件目はダイアナへのプレゼントの真珠が盗まれ、二件目は押し込み強盗で三点の高価な品が奪われていた)、多額の保険金を受けていた。この件については後年にブロートンの友人ヒュー・ディキンソンがブロートンに頼まれて盗難を仕組んだことを認めている。しかしこの時には警察は嫌疑を立証できず、証拠不十分ですぐに釈放となった。 ブロートンはうつ病が深刻になり、1942年12月2日に自殺した。準男爵位は息子のイヴリン・ブロートンが継承した。
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