歴史・現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:12 UTC 版)
一説では、薩摩藩が1600年の関ヶ原の戦いの際、または1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったのが始まりといわれる。他にも諸説あり、農家の田植え時の保存食、日本に伝来した粽の当初の形がこの地域のみ残った説、平家の落人により伝えられた説、たまたま焚き火に落としたおにぎりが腐らなかったのを見つけた説などもある。 また、1877年の西南戦争の際には西郷隆盛が保存食として持参しており、これを機に薩摩藩外の宮崎県北部や熊本県にも広く普及することとなった。 保存性であくまきを見ると、長時間煮ることによる滅菌、木の成分による抗菌、アルカリ環境による雑菌繁殖の抑制、竹の皮による抗菌、と実に複合的かつ合理的に出来ている。兵糧で多かった干し飯と比較しても、保存性や食べやすさ等で優れており、朝鮮出兵の際も他国の軍勢は兵糧が尽きる中、薩摩の軍勢だけはあくまきで腹を満たしたと言われている。 水分が多いのに日持ちは良く、常温で1週間程度、冷蔵庫で2週間程度は持ち、冷凍も可能である。持ち運びや衛生面から土産物としては真空パックされたものが多い。また、竹の皮で包む代わりにカップに入れて製造する製法も開発されて、手軽に食せるようにパッケージングされた商品もある。 節句前の鹿児島県のスーパーマーケットなどでは、家庭での自作用に灰汁のビン詰めや灰汁用の灰、竹の皮を売っている。製造元のこだわり等により、大きさや値段もまちまちであり、製造元にこだわりを持つ人も多い。 材料さえあれば、漬けておいて包んで煮るだけと簡単に作れ、1個作るのも数個作るのも手間が大差ないこともあり、地元の人にとっては、自分の家で多く作って近所にも分けたり、親戚や知り合いが作ったものを貰ったりする、家庭的な菓子としてなじみが深い。ただ、若干の好き嫌いがあるためか土産菓子としてはあまり普及しておらず、また季節菓子ゆえ、通年で一般的に販売はされていないので、地元以外で手に入れるのは物産展でもないと難しかった。また地元でも里山の減少や囲炉裏や竈が各家庭から失われたことで木灰と縁遠くなり、更に核家族化・都市化により、作り手や機会が減少していた。 しかし近年、九州新幹線開通を契機とした魅力的な観光地への独自性のある郷土菓子として、また合成保存料・合成添加物を使用しない手作りの素朴なスローフードとして注目され、従来こんにゃくを製造していた業者などによる製造が盛んとなり、南九州の旅館のお膳や自治体アンテナショップ、インターネット通販などで地道に取り扱いを増やし、最近では鹿児島県内のスーパーマーケットやみやげ物店等で通年販売する店もある。
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