普通教育偏向是正政策
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「普通教育の思想・歴史・現在」の記事における「普通教育偏向是正政策」の解説
サンフランシスコ単独講和条約締結に伴い首相の私的諮問機関である政令改正諮問委員会は1951年11月、「教育制度の改革に関する答申」を出した。普通教育史との関連で言えば、この答申は早くも「国情」に合わせるという見地から、「普通教育を偏重する従来の制度を改める」と憲法・教育基本法に示された教育理念を後退させる方向を打ち出した。 1952年10月、日本経営者団体連盟も「新教育制度について産業人の立場よりこれをみるに社会人としての普通教育を強調する余りこれと並び行われる職業力至産業教育の面が著しく等閑に付されて」いると提言している。具体的には小学校のみを「初等普通教育」とし、中学校については「普通教育に重点をおくもの」と「職業教育に重点をおくもの」とに分け、さらに中学校と高等学校を併せた6年制の農工商等の職業教育み重点をおく「高等学校」の設置を提起している。 中央教育審議会は1953年、最初の答申「義務教育に関する答申」を出した。この答申は、あたかも「義務教育」という独自の教育理念・目的があるかのような見地に立って、「普通教育」という用語を事実上死語化させている。この見地はその後の文部省の教育政策を規定することになる。 1958年改訂以降、学習指導要領は従来の文部省著作物から「法的な拘束性を有する」官報告示文育とされた。 この改訂を機に「道徳の時間」が導入された。「道徳の時間」の「目標」には教育基本前文の「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」という文言のうち、人間性を意味していた「普遍的にして」という語句が削除され、「個性豊かな文化」だけが引用されている。ここには教育基本法の理念を戦前的なものに転換させる意図が表れていた[要出典]。
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