武蔵国留守所総検校職とは? わかりやすく解説

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武蔵国留守所総検校職

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 05:53 UTC 版)

秩父氏」の記事における「武蔵国留守所総検校職」の解説

留守所とは、遙任などで国司居ない国衙のことである。在庁官人実務代行した在庁官人仕事1つ治安維持である。秩父氏は「武蔵国留守所総検校職」(むさしのくにるすどころそうけんぎょうしき)に就いたことで武蔵国在庁官人トップとして国内武士統率動員する権限持っていた。武蔵七党などの武士団顔役であった1113年永久元)、横山庄を巡る主権争いから、相模国愛甲庄を統治していた内記大夫討ったことで、横山党が院から討伐を受けると、秩父重綱相模国三浦為継鎌倉景正と共に命令実行したが、横山党源為義保護の下に危機脱した横山隆兼の娘は秩父重弘の妻となり畠山重能小山田有重を産む。さらに隆兼の孫娘のうち一人三浦一族和田義盛一人高座渋谷渋谷高重の妻となった茂木和平埼玉苗字辞典』による留守所総検校職についての見解では、日本歴史大辞典に「総検校職とは、国検時に文書連署したりする国衙在庁官人で、国府在勤した公吏職者のこと」とあるが、留守所総検校職が置かれたのは武蔵国大隅国だけであった。この職が国衙在庁官と同じならば諸国六十余州にもあってよさそうである。また、秩父重綱出羽国居住しており、かりに、本貫地秩父郡吉田郷に居住していたとしても、多摩郡府中国府あまりにも遠方すぎる。当時武蔵国府の在庁官は日奉氏物部氏であって代理人秩父氏の名は見えない。実は、この職は、鉱山鍛冶師元締めであり、多く盲人眼病者を庇護し支配していたのである近世盲官検校称すのと同じである。つまり、京都鋳物師総元締の真継氏より任命されて、東国留守所の職を務め鍛冶鋳物石工に至る職業加判をしていたであろう、と考えられるのである。さらに、鍛冶頭領畠山重忠滅亡後河越氏足立郡川口善光寺付近移住して鍛冶鋳物集団支配していた。それゆえに、河越修理亮重資は総検校職を所望したのであろう、と考えられるのである反面在庁官人役職家督と結びついていた為、同族内の争いの元となることが多かった秩父氏においても、河越氏畠山氏争い火種となった1231年寛喜3年)には形骸化していたとされる『吾妻鏡』によると、河越重員北条泰時によってこの職に任じられた。しかし武蔵国実権北条氏得宗握っており、儀礼的な職務になっていたとの意見がある。

※この「武蔵国留守所総検校職」の解説は、「秩父氏」の解説の一部です。
「武蔵国留守所総検校職」を含む「秩父氏」の記事については、「秩父氏」の概要を参照ください。

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