武蔵国の熊谷氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 01:31 UTC 版)
桓武平氏流の熊谷氏の子孫であり、熊谷氏の発祥地を拠点とし続けた一族である。熊谷直家の息子・熊谷直重が本拠とする。ただし、熊谷郷に関しては前述のように直実が庶子である家真(実家)に譲った譲状が残され、その子孫である安芸熊谷氏(本庄熊谷氏)が熊谷直継の代まで拠点にして安芸には代官を派遣していたとされており、研究の余地がある。しかし、室町時代の応永34年(1427年)に発生した荒川の大洪水の結果、それまで熊谷郷の北側を流れていた荒川が熊谷郷の中を通るようになり、経営が困難となった熊谷氏はこの地を放棄したとみられている。また、熊谷氏と関係が深かった熊野御師の橋爪氏が応永21年(1414年)に熊谷郷の旦那職を売却しており、洪水の直前には熊谷氏が武蔵から立ち退いた可能性があるとする見解もある。いずれにしても、応永年間前後に熊谷氏は熊谷郷を立ち去り、室町時代後期には熊谷郷だった地域は新興の成田氏の支配下に置かれてしまう。以後、比企郡根岸村、和泉村を知行し、戦国期まで存続。安芸本庄系熊谷氏の熊谷直経に嫡子が無かった際には、養子として熊谷郷の熊谷氏から養子を取っている(後に嫡子が誕生し、養子の信直が家督を継ぐことはなかった)。
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