武蔵国の柴田氏
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富澤家記録に府中芝田助六の名前が見え、多摩郡上仙川邑に柴田三左衛門館跡がある。『新編武蔵風土記稿』に「近古のはじめ、三右衛門あり。その父・春清寺の中興開基なり」とある。 また足立郡に「柴田陣屋(向山村)、御入国の時、この辺大谷領の村々にて、柴田七九郎康長に采地を賜われり。それよりここに住し、筑後守、和泉守、すべて三代住せしが、和泉守に至って江戸へ移り、陣屋を取りはらう」と記されている。 また下谷区車坂町(現・東京都台東区)の柴田氏は、『御府内備考』に「右先祖の儀は、山城国生にて吉兵衛と申す者にて、南光坊大僧正様お下りの節、お供つかまつり罷下り、東叡山本覚院にならせられ候節、御長屋において木具類御用向相勤め罷りあり、もっとも御家来にこれあり候由に御座候。正保年中、久遠寿院宮様御下向の節、左衛門と申す者お供つかまつり罷下り、その後、この者吉兵衛の養子にあいなり、享保6年〔1721年〕丑年、大明院宮様御題号・あそばされ候法花経八軸、左の宝塔・御当山浄明律院之寄附仕り、ただ今に至るまで相勤め罷りあり候」と解説されている。
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