武蔵国の大舘氏とは? わかりやすく解説

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武蔵国の大舘氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:40 UTC 版)

大舘氏」の記事における「武蔵国の大舘氏」の解説

埼玉県所沢市には、宗氏の子孫と伝えている大舘氏があり、もと後北条氏被官配下北条氏敗北後家康関東入部後に帰農した一派といわれる室町幕府仕えた一族との関連不明江戸初期には筆頭名主となった大舘傳右衛門助右衛門)家がみえる。この家は領主旗本花井氏と関係が深く家康小姓花井右衛門吉高廃嫡男子庄五郎吉政と婚姻関係を結び、この子孫も傅右衛門家の分家筋として大舘姓を称している。のち江戸後期大舘傳右衛門家から名主職はその配下だった大舘清右衛門家に移り、それを期に清右衛門系が傅右衛門系より優位になり、ついに清右衛門家は花井氏の地代官(名主出身代官)にもなり、苗字帯刀一筋御免となり、弘化4年1847年)には、武蔵国入間郡に「大舘氏碑」を建立し総本家自称するようになった。その碑文によると、大舘式部隆という人物新田義貞鎌倉攻め従い戦死しその子主税義信というのが、新田義興武蔵国誅殺されたとき以降現在の地に帰農したという。しかし大舘隆・義信なる人物史料上に見えず、「帰農」という概念身分制が固まる江戸期以降のことである。この系譜は、地代任命時に創作され可能性高く信憑性問題があるとされる所沢市編さん関係資料群)。傳右衛門系・清右衛門系を含め、この地域大舘一族実際に新田大舘氏系譜を引くのかは同時代の史料的には確かめられていない

※この「武蔵国の大舘氏」の解説は、「大舘氏」の解説の一部です。
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