正家廃寺跡とは? わかりやすく解説

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正家廃寺跡

名称: 正家廃寺跡
ふりがな しょうげはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 岐阜県
市区町村 恵那市長島町
管理団体
指定年月日 2001.08.13(平成13.08.13)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文:  岐阜県東部恵那盆地南縁の丘陵先端平坦面上立地する奈良・平安時代寺院跡である。地元では古くから基壇高まり知られており,古代寺院所在することが知られていた。昭和52年度から54年度まで恵那市教育委員会委託により南山大学が,平成5年度から11年度まで市教育委員会が,それぞれ発掘調査行った結果伽藍配置寺域などの概要把握された。
 遺構大きく時期分けられる前半期掘立柱建物回廊で主要堂塔囲み後半期回廊かわって築地となる。西に塔,東に金堂並び,その北に講堂配する法隆寺式の主要堂塔配置一貫して変わらない寺院創建出土土器からみて8世紀前半から中葉である。後半期への変化8世紀末ころと考えられ9世紀後半火災受けて衰退し10世紀前半ころに完全に廃絶する。塔・金堂講堂基壇は乱石積みで,上面礎石保存状況比較良好である。瓦がまったく出土しておらず屋根瓦葺きではない。金堂建物桁行3間,梁間2間の身舎4面の廂がつく。廂の身舎に対して放射状配置されるという特異なものである。このような配置建物現存する建築遺構にも発掘遺構にもみられず,飛鳥時代玉虫厨子類例があるにすぎない講堂西側には経蔵可能性がある1間四方小型基壇建物配置される後半期には主要堂塔を囲む築地区画東側もう一つ区画並置されている。東西二つ区画規模がほぼ同じであり,南辺は位置揃えて一直線となる。東側区画内には掘立柱建物1棟と竪穴住居2棟確認されており,鉄滓フイゴ羽口出土から鍛冶工房推定され寺院造営維持管理等の施設考えられる区画外側にも2棟竪穴住居がある。
 出土遺物には,多数須恵器のほかに三彩の短頸壺,二彩の浄瓶鉄製風鐸など注目されるものもみられる仏具考えられる瓶類や鉢・類や釘もかなりある。
 当廃寺跡が所在する美濃東部地域は,後期終末期古墳8世紀初頭までの初期寺院跡がみられず,有力な在地勢力存在は明確ではない。この地域東国への幹線となる古代東山道沿いにあり,『続日本紀』にみえる8世紀初頭東山道路の整備や,同じ頃に推定される恵奈郡成立といった,律令体制確立整備ともなってこの寺院成立したとも考えられる。当廃寺跡はこのように主要伽藍遺存状況良好豊富な出土遺物があり,東海地方代表する古代寺院であるとともに金堂特異な様式であり建築史上も貴重である。よって史跡指定し保護図ろうとするものである
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