正名運動の原点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 09:41 UTC 版)
この運動は、日本政府が中華民国旅券所持者を中国人として扱っている現状に不満を持つ、在日の台湾人(中華民国国民)の間から生じた。 中華人民共和国は台湾に対する領有権を主張しているが、1945年から今日に至るまで、台湾は中華民国の実効統治下に置かれており、かつ中華人民共和国の支配下に置かれたことが一度もないため、多くの台湾住民は自らを「中華人民共和国の国民とは別個の民族・国民である」と認識するに至っている(詳細な調査結果は台湾人#近年の調査にみる台湾人の民族帰属意識を参照)。一方で台湾に実質移転した中華民国は現在に至るまで公式には中国大陸を領土に含むとしているが民主化を経た1990年代以降は実務的な台湾化が進み、中華民国の指す範囲は中華民国の実質的な支配地域(台湾島及び澎湖・金門・馬祖)とされることが多い。 日本では、1972年の日中国交正常化にともない中華民国と断交、国家承認を取り消すがその後も中華民国人が日本に入国する際に国籍を「中華民国」あるいは「台湾」として申請しても、入国管理局官吏によって「中国(台湾)」という表記区分で登録・管理されるようになっていた。台湾独立運動を「中華人民共和国からの独立」と誤解する者が少なくないが、本来は台湾の中華民国から独立、台湾化、さらには中華人民共和国と混同されることを避けるための運動である。 1912年に中国大陸で誕生した中華民国は当初は中国の唯一の合法的政府であった。なお当時、台湾は日本の植民地であり中華民国領ではない。第二次世界大戦後、ポツダム宣言により敗戦国日本は台湾を放棄し、台湾には中国(当時は中華民国)が進駐する(台湾地位未定論)。その後中華民国は国共内戦に実質的に敗北、中国大陸には中華人民共和国が成立し、1949年に中華民国は陸部の領土奪還(大陸反攻)を目指す拠点として台北を臨時首都として定める。その後大陸では名実ともに中華人民共和国が正統政府となるが、自らが中国の正統政府を自任する中華民国は台湾地区に移転してもなお執拗に「中国」、「中華」、「China」の名称を台湾内で使用し続ける。2000年代に入り中華人民共和国の経済力が中華民国を上回ると、中華民国(中国)と名乗る台湾が中華人民共和国と誤認される弊害が見られるようになった(二つの中国)。 このような日本政府・社会における台湾の扱いに対し、1990年代になると在日台湾人の間で徐々に疑問や不満が生じるようになった。その背景として、1990年代に入って李登輝総統が政治の民主化を推進すると共に、中華民国を中華人民共和国とは別個の国であるという「二国論」を展開するようになったことで、台湾人の間に台湾人としてのアイデンティティーが徐々に育まれていった事が挙げられる。これを受けて在日台湾人の間では日本政府の国籍の扱いを「中国人」から「台湾人」へと変更させようという主張が台頭するようになり、2001年からは実際に日本政府に対する抗議運動が行なわれるようになった。これが、現在の台湾正名運動の原点である。
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