標準I形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:38 UTC 版)
「日本ロッキード・モノレール」の記事における「標準I形」の解説
1961年5月の日本ロッキード・モノレール設立時、すでに北海道不動産が日光霧降高原の観光モノレール計画にロッキード式を採用することを決めていたので、日本ロッキード・モノレールは、まず観光用モノレール車両の開発を急いだ。しかし、1962年5月、北海道不動産は観光モノレールの免許申請を取り下げてしまった。このため、日本ロッキード・モノレールは、改めて「高速度都市交通機関」を目標としてモノレール車両を開発することになった。この車両は当時のロッキード社の開発番号体系に則り「CL-462-2形」と呼ばれた。 川崎航空機工業岐阜工場で先頭車2両、1編成が製造され、1962年9月に完成、10月より工場内の試験軌道で各種の試験を行った。試験は運輸省運輸技術研究所鉄道施設部の支援を受けて行われた。試験結果について、技術部長の松本豊彦は「直線路が580mしかないため83km/hの速度しか出しえなかったが、将来線路が延長されれば更に高速域の性能試験を行いたい」と語っている。同年11月までに一通りの試験を終えたが、営業運転を行なう納入先がない状態だったため、同年12月に試験軌道で完工式を行った。 その後は試験軌道での試乗会に使用されていた。1963年11 - 12月頃には、鷹司平通・鷹司和子夫妻が招待されて試乗している。基本、2両を連結しての運転が行われたが、1両での運転も可能であり、運転台のない後部にも前照灯が取り付けられていた。1964年頃、後述の「標準II形」の設計が具体化すると、「CL-462-2形」は「標準I形」と呼ばれるようになった。 1964年に小田急電鉄が標準I形を買い取る条件でロッキード式モノレールを採用することに合意し、1965年に小田急電鉄に譲渡された。この時には「観光路線を対象」とした試験機であるとされた。1966年に改装されて小田急500形電車となり、小田急向ヶ丘遊園モノレール線で2000年の路線休止まで運用された。
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