検閲を巡る論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:14 UTC 版)
「あいちトリエンナーレ」の記事における「検閲を巡る論争」の解説
2019年8月5日、河村たかし名古屋市長の『表現の不自由展』の中止を含めた適切な対応を求める要望に対して、大村愛知県知事は記者会見を開き、憲法21条第2項は公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていないとし、「(河村の言動は)憲法違反の疑いがきわめて濃厚ではないかと思う」と発言し、河村は1984年の大法廷判決を引用して『本件企画展の場合、「県立美術館の安心・安全な管理運営」の面から、本件企画展に寄せられた「肖像画・焼損映像」のような作品の展示を中止したとしても、他県の美術館での展示や、「作者自らの資源を用いて表現活動を行う」ことを何ら妨げるものではないから、「検閲」に当たらない』と反論し、『あいちトリエンナーレのあり方検証委員会』の中間報告でも、「あいちトリエンナーレ実行委員会と不自由展実行委員会との間には業務委託契約が存在し、中止に関する法的問題は、基本的には憲法ではなく、契約の問題(「基本的には」というのは、船橋市立図書館事件があるためであるが、本件には該当しない)」と法学者の曽我部真裕が報告している。 8月26日、韓国のソウル大学校日本研究所のキム・ヒョジン教授は慰安婦像を再展示するための戦略として「日本の少女像に対する反発を指摘するよりは、『表現の自由』の問題を浮き彫りにすることが、さらに訴求力のある戦略」と分析した。「少女像を強調すれば強調するほど、むしろ平和の少女像を口実に展示会を攻撃する日本国内の嫌韓論者に反対根拠を提供するのではないか、熟慮する必要がある。」「日本の市民社会は依然として『検閲』に対して強い反感を持っていて、これは重要な連帯の根幹になりうる」と報告を行った。 その後、8月21日、京都弁護士会は「公権力が、表現内容に異議を述べてその中止を求めることは、表現活動に多大な萎縮効果をもたらすものであり、到底許されるものではない。」と会長声明を発表、同月29日には、東京弁護士会も「公権力が、表現内容に異議を述べてその中止を求めることは、表現活動に多大な萎縮効果をもたらすものであり、到底許されるものではない。」と相次いで河村を批判した。さらに、9月3日に愛知県弁護士会が「公共の場における多様な表現の保障は、民主主義の意見形成の過程を支えていくために不可欠であり、多数意見と異なる少数意見の表現、特に時の権力者の意見に反する少数意見であっても、多数派の意見と同様に最大限の保障がなされなければならない。」「河村市長の発言と行動は、行政庁の長である市長が企画展の展示物である表現の内容に対して異議を唱え出品者の表現行為を止めようとするものであり、憲法21条2項との関係において適切さを欠くものである」と批判を行った。 河村は「名古屋市民の多くにとって、激しい嫌悪感・不快感を催し、国民感情に著しく反すると思われる作品群に対し「便宜を供与」(公共施設の使用許可等)し、公金(愛知県民税・名古屋市民税・国税)を使うことが著しく不適切であると考えられるがゆえに、その「(展示の)中止を含めた適切な対応」を求めたもので、「中止そのもの」を求めた訳ではありませんし、個々の作品の「表現の規制」を目的とした行為ではありません」と反論を行った。
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