検閲・発禁処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 16:16 UTC 版)
「ブアレム・サンサル」の記事における「検閲・発禁処分」の解説
サンサルの批判精神は解任によって弱められることはなかった。2006年に発表した随筆『アルジェ局留め ― 同国人への怒りと希望の手紙』では、アラビア語政策をはじめとし、アルジェリア現政権の行うさまざまな蛮行を縦横無尽に批判した。本書は発禁処分を受け、サンサルは非難され、罵られ、脅迫を受けた。以後、サンサルの著書は検閲を受け、ほとんどが発禁となった。彼は、「最初はとても辛かったけれど、結局、この方がいいと思った。きちんと決着をつけたのだから。とはいえ、過去40年にわたって同国人と話し合ってきたことを書いただけだ」という。彼は、市民は10月暴動(フランス語版)で革命を起こそうとしたが失敗し、シャドリ・ベンジェディード(フランス語版)政権が暴動を徹底的に鎮圧した結果、民主主義ではなくイスラム原理主義の台頭(すなわち、イスラム救国戦線(フランス語版)の総選挙第1回投票での圧勝)を許すことになり、この結果発生した政府軍とイスラム救国戦線との武力衝突、テロリズム、10年にわたる内戦(暗黒の10年)が国民を疲弊させたと分析する。すなわち、イスラム原理主義者が勢力を拡大し、残虐行為を繰り返すほど、恐怖が日常化し、人々が反応しなくなり、感覚が麻痺したのであり(サンサルはこれをアルジェリアの「アパシー」と表現する)、アルジェリア独立戦争後によって生まれた希望がこのような絶望に変わった今、この経緯を明らかにする必要があった、だからこそこの本を書いたのだという。
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