柔道より相撲とは? わかりやすく解説

柔道より相撲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 16:38 UTC 版)

琴錦功宗」の記事における「柔道より相撲」の解説

1968年6月8日群馬県群馬郡箕郷町(現:高崎市箕郷町)で生まれる。箕郷町立箕郷中学校では柔道部活躍していたが、相撲大会にも駆り出され蔵前国技館行われた全国大会にも出場したその実績はロサンゼルスオリンピックで金メダル獲得した山下泰裕からスカウトされるほどだった。当初高校進学決まっていたが、全国大会観戦来ていた佐渡ヶ嶽からサインもらった際に恵まれた体格見出され父親から「柔道ではメシ食えないから相撲で稼いでこい」、佐渡ヶ嶽から「相撲来れば強いヤツとたくさん戦えるぞ。柔道なんて目じゃねえよ」と言われ佐渡ヶ嶽セリフきっかけ大相撲へ進むことを決意1984年3月場所で「琴松澤」の四股名初土俵踏んだ同期には共に幕内活躍する湊富士大至旭豪山がいる。入門当時当時新弟子検査基準ギリギリの175cm、80kgの体格であった佐渡ヶ嶽部屋での生活が始まって最初の朝、4時部屋の者にいきなり鼻を殴られ起きると鼻血流れた稽古場では兄弟子師匠部屋頭からスコップバットによるかわいがりを受け、稽古場にあるテープ巻かれ竹箒500本のうち、琴松澤殴って壊れる分だけでも一日に5〜6本が消費された。足の裏の皮や爪も剥がれ毎日足は血だらけだったというが、このようなしごきを受けたのは稽古初日稽古場関取の顔を張ったためで、そのような鼻っ柱強さから自然に目を付けられていたためだった。それでも琴松澤の家は貧乏で、何としても親孝行したいという強い想いからかわいがりには必死に耐え、ちゃんこにおいても当時力士とはいえ褌担ぎとなれば好きなだけ食べられる時代ではなかったため、具の欠片だけが残ったちゃんこスープポン酢丼飯1213杯を食べた佐渡ヶ嶽部屋70人ほどが在籍する大部屋だが、それらの皿洗い家事などを同期入門力士二人だけこなしていたために昼寝する時間無く稽古足らない分は夜間屋上行きダンベル持って鍛えた。そんな新弟子時代自身対す扱いに関して2018年週刊誌記事では「大事にされていたらダメ力士だったんだと思いますよ。褒められると必ず負ける。師匠佐渡ヶ嶽)と揉めてる時は優勝しちゃったりしてね。だからしごかれた兄弟子や、師匠にも、本当に感謝してます」と振り返っている。

※この「柔道より相撲」の解説は、「琴錦功宗」の解説の一部です。
「柔道より相撲」を含む「琴錦功宗」の記事については、「琴錦功宗」の概要を参照ください。

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