枯木立月光棒のごときかなとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 趣味 > 現代俳句一覧 > 枯木立月光棒のごときかなの意味・解説 

枯木立月光棒のごときかな

作 者
季 語
季 節
 
出 典
前 書
 
評 言
 昭和10年作。寒林にふる月光を「棒のごとき」と把握。この比況助動詞をもちいた句は、師虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」(昭和25年)が良く知られているが、『華厳』における茅舎の句にも、このいわゆる如し俳句」が見られ興味をひく。「芭蕉葉破船のごとくの中」「老杉の髪のごとくに良夜かな」「瀧行者のごとくに打ち震ひ」。この句集無論虚子の選になるものであり、序には有名な花鳥諷詠真骨頂漢」との茅舎評が書かれてもいる。しかし、このように「棒」「破船」「髪」「」という人間つくった道具あるいは人間一部喩えられる「月光」「芭蕉葉」「老杉」「瀧行者」という「自然界現象、並にそれに伴ふ人事界の現象」は、「花鳥諷詠」として虚子講演語った内容の本質釣り合うのだろうか少なくとも、筆者には違和感がある。この句を詠む前年には、茅舎は以下のように述べている。
 
 俳句花鳥諷詠する以外の目的をば一切排撃することによつて、種々の雑多な目的を持つた他の芸術毅然と対してゐる。又僕は斯様啓蒙めく言葉繰返して置きたい
 然し時代問題驀地まっしぐら)に突進する事が勿論勇気要する如く花鳥諷詠する以外の目的一切排撃する事も亦聊か勇猛な精進要求する。それゆゑ何か意味ありげ目的偶像破壊し得ぬ人達は花鳥諷詠律法に得堪へず頻々この陣営から遁走した。僕は虚子先生平明な花鳥諷詠説話の底に常々斯様峻厳さを発見する。さうして花鳥諷詠存在意義確かにする。 「花鳥巡礼第二回 「ホトトギス昭和9年1月

 「何か意味ありげ目的偶像」が何をさすかは明らかであろう俳句かぎらず当時隆盛新興芸術プロレタリア芸術一線をひくこと、すなわち同時代距離を置くことも「勇猛な精進」だと言うのである。「花鳥諷詠」はいったい何のために唱えられたのか、ということ改め考えてみる必要もあるだろう。精査しわけではないが、実際にはこの当時までの虚子=「ホトトギス」の俳句表現の自由度は、一線引いたはずの時代反映して案外に多様だったのではないのか。飯田龍太氏は、

花鳥諷詠真骨頂漢」は、ある意味で、茅舎に対して虚子ブレーキをかけたんじゃないかと思うね。(中略)/茅舎自体は、「花鳥諷詠真骨頂漢」という、非常にきつい序文一つの鞭として甘受したんじゃないかと思う。だから次の句集の『白痴』になると、抽象的観念的になるね。(対談集『俳句の現在』〈平成元年 富士見書房〉より発言抜粋

述べている。指摘内容本文脈とはやや違うけれども、要再考であることを示唆するものとして引いておく。
 
評 者
備 考
 


このページでは「現代俳句データベース(俳句)」から枯木立月光棒のごときかなを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から枯木立月光棒のごときかなを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から枯木立月光棒のごときかなを検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

枯木立月光棒のごときかなのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



枯木立月光棒のごときかなのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
現代俳句協会現代俳句協会
Copyright(C) 現代俳句協会

©2024 GRAS Group, Inc.RSS