枢密院に諮詢したが撤回した例
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「緊急勅令」の記事における「枢密院に諮詢したが撤回した例」の解説
戦時保険ニ関スル件(第8条に基づく緊急勅令案)第一次世界大戦の勃発により、海上戦時特別保険料は高騰した。これに対応するために保険料率の制限及びこれによって保険業者に損害が生じた場合に政府が損害の一部を補填するとしたもの。 大正3年8月21日に枢密院に諮詢された。8月21日の枢密院の審査委員会において「可決」とされ22日に本会議が開かれた。しかし理由は明らかではないが8月28日に「御沙汰ニ依リ返上」(つまり政府側より撤回) なおその後の状況は、1914年(大正3年)9月4日に召集された第34回帝国議会に「戦時海上保険ニ関スル法律案」を提出した。内容は、命令で定める一定料率以下で戦時海上保険を締結しこれによって保険業者に損害が生じた場合に政府が損害の一部を補填するとしたものであり、緊急勅令と実質的には同じ内容とするものであった。この法案は、衆議院において政府案は命令に委任が多く過ぎるとして措置の内容を法律に規定するように修正し「戦時海上保険補償法」として9月7日に可決、貴族院においても9月9日に可決され9月12日に法律第44号として公布施行された。 蚕糸業救済ニ関スル件(第8条に基づく緊急勅令案)第35回帝国議会に提出された蚕糸業救済ニ関スル法律案が、衆議院解散により廃案となったため、1915年(大正4年)1月4日の閣議決定を経て1月6日に枢密院へ諮詢となった 緊急勅令として制定しようとしたものであり、内容的には第1次世界大戦の勃発により下落した生糸についてこれを担保とする手形割引について銀行が損失を出した場合に政府が補填するものであった。この勅令案は、枢密院での審議がされないまま2月4日に「御沙汰ニ依リ返上」(つまり政府側より撤回)となり、代わって次の財政上の緊急処分が諮詢されることになる。 蚕糸業救済ニ関スル財政上必要処分ノ件(第70条に基づく緊急勅令案)2に代えて損失補填について財政支出のため制定しようとしたもの。1915年(大正4年)2月4日の閣議決定を経て同日に枢密院へ諮詢となった。3月3日の枢密院の審査委員会において全会一致で必要なしと議決され、本会議上程をすることなく3月4日に「御沙汰ニ依リ返上」(政府側より撤回)となった。枢密院の議決理由として既存の法令の活用により目的を達成でき緊急勅令は不要であるとしている。なおこのときの主管大臣は、若槻大蔵大臣と大浦農商務大臣であり、この12年後に若槻は総理大臣として緊急勅令案を枢密院で拒否されることになる。 保険会社ニ対シ震災任意出捐助成ノ為資金ヲ交付スル契約ヲ為ス等ニ関スル件(第70条に基づく緊急勅令案)関東大震災において、保険会社が地震による火災(保険契約上免責)について任意の出損をした場合に資金を交付する契約を政府と保険会社が締結できるようにするために必要な財政措置を規定するもの。大正13年2月28日に枢密院に諮詢され、審査委員会がされたが異論が多く、審査終了に至る前に3月7日に「御沙汰ニ依リ返上」(政府側より撤回)となった。
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