枢密院の諮詢がされ、適当とされたが制定にいたらなかった例
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「緊急勅令」の記事における「枢密院の諮詢がされ、適当とされたが制定にいたらなかった例」の解説
戎器取締規則「戎器」とは「刀剣銃仕込杖其ノ他人ヲ殺傷スヘキ目的ヲ有スル器具」(規則案第1条)、つまり殺傷性のある武器のことである。これについては、内務大臣より通常の勅令として制定すべしと1月22日に閣議にかけられたが、明治27年1月29日に、法制局はすでに取締り法規として帯刀禁止令(明治9年太政官布告第38号)、保安条例 (明治20年勅令第67号)があり、これらは憲法施行により法律とみなされており、従って通常の勅令により、戎器取締規則を制定すると勅令により法律を変更することになるので、適当ではなく、緊急勅令とする必要があるとした。これを受けて、緊急勅令として制定するために明治27年2月7日枢密院諮詢がされ、適当とする決議が2月17日にされたが、総選挙が3月1日に行われた結果、制定の緊急性がなくなったとして4月11日に発布見合が閣議決定され、制定にいたらなかった。なお、翌年6月に通常の勅令として制定することが内務大臣より閣議提出されたが、再度法制局により憲法上の問題及び必要性がないとして否定された。 俘虜間牒ニ関スル件日清戦争中の俘虜の扱いについて、暴動やスパイ行為があった場合に処罰するためのもの。俘虜の多数凶暴による脱走及び反抗並びに敵国人が偽装又は詐欺によりスパイ行為を行った場合、死刑に処すとしたもので、軍法会議により処罰としていた。 11月13日に枢密院へ諮詢され、11月21日に枢密院で可決された。そしてこの後勅令原本に御名御璽がされ、伊藤博文内閣総理大臣と西郷従道海軍大臣兼陸軍大臣が副署したが、他の大臣が副署することなく未決となった。国立公文書館の公文別録・未決並廃案書類に公布間際の文書が保存されているが、文書自体に廃案の表示もなく経緯は不明である。
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