板絵金地著色昌俊弁慶相騎図とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 板絵金地著色昌俊弁慶相騎図の意味・解説 

板絵金地著色昌俊弁慶相騎図〈長谷川等伯筆/〉

主名称: 板絵金地著色昌俊弁慶相騎図〈長谷川等伯筆/〉
指定番号 1863
枝番 00
指定年月日 1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 慶長十三六月の銘がある
員数 1面
時代区分 桃山
年代
検索年代
解説文:  本図京都の有名社寺に伝わる大絵馬中でも屈指の大きさをもつものである画面上方三分の二八枚下方三分の一は九の板を左右に並べて作られている。また、本図大きいだけではなく京都にのこる絵馬の中では天正二十年一五九二)に長谷川久蔵描いた清水寺の「朝比奈草摺曳図」(重文)につぐ古さをもっている。しかし、もっとも重要な点本図桃山時代代表する絵師一人である長谷川等伯によって描かれているところにある。京都伝存する絵馬少なくないが、桃山著名画人の手になるものは稀で、他には北野天満宮曽我直庵筆の絵馬二面妙法院狩野山楽筆の絵馬一面ある程度である。
 本図等伯七十歳時の作で、それは没する年前にあたるが、等伯筆力旺盛で、画面いっぱい疾駆する黒馬、馬上には抗う昌俊弁慶魁偉な姿が力強く描かれている。この画題『平家物語』十二土佐房被斬」、謡曲正尊」、幸若舞堀河夜討」などで知られるもので、ここでは病を称する昌俊を、弁慶力ずく義経のもとに拉致する場面選ばれており、二人緑地金泥盛りあげによる唐草輪宝文が施された衣や直垂が総金地映えいかにも桃山時代らしい、豪快な趣きとなっている。
 さて、本図には四か所に墨書があるが、画面向かって右端の墨書いかなる理由によってか一度ならず書き改めているため、判読に困難がともなうが、仮につぎのように読んでみる。
 「□ □/平朝伊豫守平朝臣真勝武運長久敬白
 佐久□□勝武運長久息□(災)延命息□(息)災延命
 奉掛 □(房)【カ】敬白
 奉掛神前
 御神前 宿坊
 能探
 慶長拾三□〈(戊)/申〉暦
 六月吉祥日
 自雪舟五代
 長谷川法□【(眼)】等伯七十歳
 これによれば本図奉納者は慶長九年(一六〇四)に従五位下伊予守となり、寛永十九年(一六四二)に七十二歳没した佐久間真勝推測される。なお、能探は北野天満宮宮仕ひとりで慶長四年(一五九九)から明暦元年一六五五)までの生存確かめられそれぞれ慶長十三年(一六〇八)の年記矛盾しない
 佐久間真勝江月宗玩帰依し宗玩春屋宗園師事した江月宗玩開祖となり、慶長十三年に落成した竜光院や、春屋宗園開祖となった三玄院には等伯襖絵があったことが知られている。こうした事情から、佐久間真勝依頼受けて等伯がこの絵馬を描くことになったものと思われる



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

板絵金地著色昌俊弁慶相騎図のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



板絵金地著色昌俊弁慶相騎図のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS