板絵著色朝比奈草摺曳図〈伝長谷川久蔵筆/〉
主名称: | 板絵著色朝比奈草摺曳図〈伝長谷川久蔵筆/〉 |
指定番号: | 1856 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1985.06.06(昭和60.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 天正二十年四月十七日奉納の記がある |
員数: | 1面 |
時代区分: | 桃山 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 京都市中に伝わる多くの大絵馬のうち最古の遺品で、古来著名な作品であった。和田一門の酒宴の席で、曽我五郎の草摺を大力無双の朝比奈義秀が掴み、力争いをしたという故事を描くものである。武者絵の絵馬は室町時代末には始まり、現存例では天文二十一年(一五五二)の狩野某筆「橋弁慶図」(厳島神社)二面が古いものの、破損が甚しい。本図は、制作年こそそれに次ぐが、作柄・保存共によく、作者が判明するのも貴重である。長谷川久蔵(一五六八~一五九三)は、桃山時代の大画家長谷川等伯(一五三九~一六一〇)の子の一人であるが、早逝したため確実な遺品が極めて少なく、この他には「大原御幸図」六曲屏風一隻(東京国立博物館)が知られるにすぎない。 裏面の墨書によれば、寛永六年(一六二九)九月の清水寺炎上に際し本図のみが奇跡的に焼け残り、同八年に末孫・直弟らが修理を加えたことを知り得る。久蔵の実の兄弟の左近等重は寛永七年には存命中であり、等伯の後妻の子と推測される宗也は寛文七年(一六六七)まで生存しているところから、彼らによって細心の修復がなされたと考えられる。したがって左端の後補部分に記された筆者名等の墨書も信ずるに足り、本図は久蔵の代表作たるのみならず、桃山時代の絵馬を代表する作品でもある。 |
絵画: | 板絵著色弥勒来迎図 板絵著色役行者八大童子像 板絵著色日光三所権現像 板絵著色朝比奈草摺曳図 板絵著色神像 板絵著色神像 板絵著色神像 |
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