東京駅放火未遂事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 14:04 UTC 版)
「渋谷駅駅員銃撃事件」の記事における「東京駅放火未遂事件」の解説
2004年5月3日、熊谷は決行の際に身につける服装・鞄や拳銃を持って石川町駅(JR東日本・根岸線)から東京駅(東海道線)へ向かったが、地下5階の入り口はシャッターが閉まっていた。当時は連休(ゴールデンウィーク)中だったため、熊谷は「(事務所のシャッターは)今は閉まっている」と考えて仮宿舎に戻った。その上で「キヨスクのような大きな組織を襲うためには、銃弾6発では足りない。万が一(拳銃での強盗に)失敗して追手に囲まれたら、油を撒いて点火し、拳銃で自殺しよう」と考え、ペットボトルに灯油を入れて持参した。そして同年5月5日に衣服・結束バンド12本・マスク・サングラス・拳銃および銃弾・灯油500 mlを用意して襲撃の準備を済ませ、翌5月6日に決行することを決めた。 犯行当日(2004年5月6日)、熊谷は7時40分ごろに石川町駅を出発して東京駅へ向かい、8時45分ごろに東京駅丸の内北口の改札を出ると、駅構内で作業シャツに着替え、ヘルメットを被った。そして地下2階に下りて地下5階までエレベーターに向かおうとしたが、エレベーターは4階までにしか行けなかったため、やむを得ず地下3階でエレベーターを降り、非常階段で地下5階へ向かった。その上で地下5階にてキヨスクの社員が出社する時刻を見計らったが、しばらく待っても誰も来なかったため、近くにあった台車にゴミの容器を載せ、その上に手提げバッグを置いてエレベーターに乗ったが、そのエレベーターにビールを運搬する人物が乗り込み、怪訝そうな表情で「何階に行くんですか?」と訊かれた。このため、熊谷は「地下5階です」と答えたが、相手から「地下5階には行けませんよ」と返されたため、「地下3階」と答え直した。熊谷はその人物の言葉から「キヨスクの事務所は地下3階だろう」と考え、同会で事務所を探したが見当たらず、地下2階も探してみたが見つけられなかった。この時、熊谷は時計を忘れていたために時間を正確に把握することができず、このことも(標的の事務所が見つからないことと合わさって)焦りを大きくしていた。 やがて熊谷は「今日はひとまず引き上げて、再度決行しよう」とも考えたが、襲撃場所がわからないことに加え、時間的・経済的にも余裕がなかったことから追い詰められていた中で灯油の存在を思い出し、鞄から取り出した。そして16時ごろ、熊谷は東京駅の地下3階倉庫で、灯油を台車に積まれていたダンボールに撒き、その上にライターで点火したティッシュペーパーを投げ込んで点火した。これにより、廃棄するため置いてあったエアコン・ペンキ缶などが焼けたが、建物に燃え移る前に消火され、放火は未遂に終わった。怪我人は出なかったが、横須賀・総武快速線ホーム(地下5階)などに煙が充満し、同線の電車上下6本が東京駅を通過し、乗客約300人が避難した。 点火後、熊谷はエレベーターで地上に出て駅へ歩き、東海道線で石川町に戻り、宿舎にしていた事務所でヘルメット・作業服を処分した。
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