東アジア・東南アジア
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詳細は「日本建築」および「韓屋」を参照 東アジアは、主に中国文化圏に属するため、朝鮮半島や日本、琉球、ベトナムなどでは中国の建築様式に強い影響を受けた建築様式が発展した。中国の黄河文明及び長江文明などでは古くから現在の中国建築に通じる建築様式の建造物が築かれており、それが後に殷や周、秦や漢などの中国を統一した強大な国家が誕生するにつ入れて巨大化した。また、周王朝時代からは瓦屋根が使われるようになったとされている。漢王朝などにおいては、周辺地域との朝貢の関係を通して建築様式が伝播した。 また、後の隋唐代では日本や朝鮮半島の諸国をはじめとする多くの東アジアの国家が中国文化圏に取り込まれ、中国の建築様式を模範とした建築様式が発展した。後に、それらの建築様式は気候風土や土着の建築様式との融合を経てそれぞれの地域独特の建築へと発展して行った。また、本家の中国では、現在にも残る紫禁城(故宮)などの巨大な宮殿建築や城、儒教や仏教の寺院などが建設され、明王朝、清王朝などを経て現在よく知られる建築様式となった。近代になっても中国王朝との朝貢の関係が続いていた国ではより中国らしい建築物が造られた。 その一方で、インドシナ半島やインドネシアの諸島部では、インドの影響を受けた建築様式及び中国の影響を受けた建築様式などが発展した。カンボジアのクメール王朝では寺院アンコール・ワットや王宮アンコール・トムが建設されたし、インドネシアのジャワ島には巨大な仏教寺院であるボロブドゥール遺跡が建設され、その当時の仏教建築又はヒンドゥー教の隆盛を物語っている。その後、それらの地域は多くがイスラム化され、新たにイスラム建築でモスクなどの建造物が建設されたが、それらはアラビアやペルシャの物とは若干異なる様式で築かれた。
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東アジア・東南アジア
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東南アジア、南インドでは、1025年を境にシュリーヴィジャヤ王国が衰退し、チョーラ朝、クディリ王国が全盛を極めた。東アジアでは、北宋の経済的繁栄は続くものの、遼や西夏への歳幣の負担と社会的格差の進行が重くのしかかり、王安石の改革が始まった。
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東アジア・東南アジア
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フィリピン(フェルディナンド・マルコス政権、ロドリゴ・ドゥテルテ政権。2022年現在も継続中) インドネシア(スハルト政権) 韓国(朴正煕政権、全斗煥政権) シンガポール(リー・クアンユー政権以降2022年現在も継続中) 中華民国(台湾) (蔣介石政権、蔣経国政権) タイ(サリット政権、タクシン政権) マレーシア(マハティール政権以降2018年現在も継続中) 中国(改革開放、鄧小平政権以降2019年現在も継続中) ベトナム(ドイモイ政策、グエン・ヴァン・リン政権以降2022年現在も継続中) ブータン(2005年以前のワンチュク家) ミャンマー (1988年以降の軍事政権。2011年の民政移管で一旦終焉も、2021年ミャンマークーデターで再開し継続中)
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