杉並師範館
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杉並師範館(すぎなみしはんかん)とは杉並区が独自に小学校教員を養成し、採用するための教師養成塾である。
概要
杉並区では大学や高校の教員から「子どもに基本的な学力が身についていない」と幾度となく指摘されてきたことを受け、小学校から立て直す必要性があると判断していた。しかし義務教育の教員は都教委が採用・人事を担っているため良い教員でも数年で他地域へ異動してしまい、質の高い教育を維持できない問題が存在していた。そこで同区は杉並から離れることなく杉並の教育にずっと携わっていける質の高い教員を独自に区で養成し、採用していこうと2005年にこの養成塾を設立した。
教員免許取得予定の学生や社会人、現職の教師などを対象に毎年30名程度が募集され合格した塾生は教育界・経済界、文化・スポーツ界など各界からの教授陣による実践的指導力に重点を置くとする独自のカリキュラム研修を1年間受けることになり、その後、杉並区教育委員会が塾生だけを対象に行う採用試験を受けることになる。田中哲事務局長によると「必ずしも全員を採用するわけではなく、研修期間は長期にわたる採用選考とも言える」としており、この塾を受講できることが教員に採用されたことにはならない。しかし第一期生の募集では、都の教員採用試験を上回る7倍以上の競争倍率となった(毎年ほぼ同水準で推移している)。社会人も対象にしている塾のため、土日を中心に研修が行われる。
都教委で採用され杉並区に配属される教員数は従来と同じため、この塾により採用された教員数が増えることになるが、少人数のクラスわけ等をすることでより密な教育が可能になると杉並区はコメントしている。塾運営費やこの塾から採用された教員への人件費などは区費で賄われている。
2010年(平成22年)5月26日、ホームページで第6期生の募集を見送ることを発表した。その後同年10月所属している第5期生26名が卒塾する2011年3月で解散することを決定した[1][2][3]。
アクセス
〒166-0013 東京都杉並区堀ノ内2-5-26 (済美教育センター内)
脚注
- ^ “市区町村で先駆けの教師塾「杉並師範館」、終幕へ”. 日本経済新聞 (2010年10月19日). 2010年10月30日閲覧。
- ^ “杉並師範館 解散へ 区「必要教員数確保」”. 東京新聞 (2010年10月22日). 2010年10月30日閲覧。
- ^ “東京・杉並の先生養成塾、来春廃止「人件費の負担大」”. 朝日新聞 (2010年10月28日). 2010年10月30日閲覧。
関連報道
関連項目
外部リンク
- 杉並師範館 公式ホームページ [リンク切れ]
- 杉並区教育委員会 - 杉並師範館
杉並師範館
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田口は2005年、当時杉並区長だった山田宏と共に、杉並区が採用する小学校教員の育成を目的とした「杉並師範館」を設立し、副理事長兼塾長補佐(2009年4月から理事長)として同プロジェクトに関わった(塾長は元米国ソニー会長・田宮謙次氏)。 杉並師範館の設立趣意書には次の通り。 今、教育体制の中にこの気風と伝統を取り戻すことが急務であり、その存在自体がより良い感化を生じる『気高い精神と卓越した指導力』をもった教師の育成が重要だとし、そのために「教育は人なり」を信条とし、真に教職を志す人を求め、ここに杉並師範館を設立する 設立発起人は次の通り。 遠藤勝裕 日本証券代行取締役社長 尾原蓉子 一般財団法人ファッション産業人材育成機構、IFIビジネス・スクール学長 小林陽太郎 富士ゼロックス取締役会長 小松郁夫 国立教育政策研究所教育政策・評価研究部長 白滝一紀 国立大学法人秋田大学理事、教育新聞社代表取締役社長 瀬口清之 日本銀行国際局企画役 田口佳史 イメージプラン代表取締役社長 田宮謙次 ソニー顧問、ソニーユニバーシティ前学長 野原明 文化女子大学教授、元NHK解説委員 橋本堅太郎 彫刻家、日本芸術院会員、公益社団法人日展理事長 三重野康 元日本銀行総裁、漢字文化振興会会長 (肩書きは発起人会開催時点のもの) 杉並師範館は第1期生定員を約30名と設定していたが、215名の応募があった。年間カリキュラムは、東京大学名誉教授・今道友信氏やテルモ会長・和地孝氏などによる人間力を磨く「講義」、元小学校校長からなる指導教授などによる指導力、授業力を磨く「演習」、実際に教壇に立ち、子どもと触れ合う「特別教育実習」、学び合い、高め合い、育ち合う「合宿・体験活動」から成っている。第1期生のうち20名、第2期生のうち29名、第3期生のうち22名が杉並区立小学校の教員として採用された。その後、杉並師範館は2011年3月まで続き、合せて123名の教員を小学校教育の現場に送り込んだ。
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