本郷温泉へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:27 UTC 版)
表田によって大谷温泉が再興され発展していく過程で、正式に「温泉」として認可される必要が生じた。広島大学地質学教授の梅垣博士による実地調査が行われ、1952年(昭和28年)10月、温泉公称の許可を得て『本郷温泉』として登録される。このことを契機に外部の業者による温泉業の参入が相次ぐようになった。1953年(昭和29年)12月に「滝口温泉」、1956年(昭和32年)4月に「美緑ホテル」(当時は「日向」)、同年6月に「万草」(当時は「ねずみ荘」)、8月に「末吉旅館」が開業した。1957年(昭和33年)1月には「胡楼別館」、10月に「つるはし」と「松露園」が開業した。その後も、「魚清別館」、「たつまき荘」、「若竹荘」、「やまげん」など、続々と温泉宿の開業が続いた。なお、1954年、本郷村は周囲の町村が合併して本郷村は松永市本郷町となった。1965年までに旅館の数は12軒となり、それぞれが増改築を重ね、規模を大きくしていった。大谷川を隔てた反対側に浴場を設けた「ジャングル風呂」や屋上に露天風呂を設けた「空中風呂」など趣向を凝らした旅館もあった。本郷温泉は広島県最大の温泉地となり、松永駅はハイヤーやバスを使って本郷温泉に向かう客で賑わった。バス停も温泉口の他に2カ所設けられ、温泉街の奥まで定期バスが通行するようになった。大谷川沿いには浴衣姿の宿泊者客が数多く出歩き、春は花見、夏は避暑、秋はマツタケ狩り、冬は接待や宴会で賑わった。温泉街で使用する水が不足するようになったが、ボーリング井戸を掘ったり、貯水池の整備を行った。1955年(昭和30年)5月から会合を重ねて編纂されていた町誌「本郷町誌」が財団法人 弘徳協会より1965年(昭和40年)11月に発行される。その頃が本郷温泉の最盛期であった。1966年に松永市は福山市と合併し、福山市本郷町となった。
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