末広町の旧銀行建物へ(1973-1980)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 21:00 UTC 版)
「水戸市立図書館」の記事における「末広町の旧銀行建物へ(1973-1980)」の解説
利用実績が上向き始めた矢先の1968年(昭和43年)2月、水商の校舎建て替えと運動場拡張計画が浮上し、水商とそのPTAは数年内に立ち退くよう市立図書館に要望した。これに対して水戸市当局は、移転候補地を検討するも土地区画整理事業が進行中ということで適地が見つからず、市民の間でも「移動図書館を先に」、「県立図書館を間借りすれば」という建設消極派と「建物は老朽化し、暗くて狭いから」、「文教都市・水戸の名に恥じぬよう」という建設推進派に分かれ、議論は遅々として進まなかった。こうした中、水商の校舎第2期工事が1972年(昭和47年)に着工するとともに、第29回国民体育大会(茨城国体、1974年)に向けて水商が各種競技の選手強化協力校に指定されたことから、水商側は1973年(昭和48年)3月までに立ち退くよう再三市議会に請願した。また図書館周辺に居住する市民からは、同じ場所に図書館を残すか学区内での移転を求める陳情がなされた。 こうして市は1972年(昭和47年)末に水戸市土地開発公社が先行取得していた上水戸一丁目の東洋工業跡地へ新築移転し、建設中は仮館を設置するという方針を打ち出したが諸事情により実現せず、急場しのぎとして、ちょうど売りに出されていた末広町二丁目の関東銀行馬口労町支店を買収して図書館とする案が採用され、1973年(昭和48年)6月28日に土地と建物を取得して一部を改修し、同年8月16日に移転し8月27日に開館した。移転に伴い、水商同窓会からは150万円が移転改築費として寄付された。 移転先は水商から400mと至近距離であったが、国道118号沿いとなったことで従来からの常連利用者に加えて子連れの女性の姿も目立つようになり、図書購入予算が増え蔵書数が伸びるとともに、利用者数・貸出冊数も増加した。また入り口に掲げられた「ありがとうございます」の文字は「お役所らしくない」と来館者の高評価を得た。一方、国道沿いに移転したため多少の騒音があったという。新館は鉄筋コンクリート構造2階建てのがっしりした建物で、1階を事務室、一般閲覧室、児童室、書庫とし、2階に学生閲覧室、郷土資料室、整理室兼会議室を配置していた。銀行として建てられたため閲覧室や書庫が複数の部屋に分かれてしまうという使用上の不便があり、管理の目が届きづらい欠陥を抱え、1975年(昭和50年)11月1日の夕方には2階会議室から出火し図書約2,000冊を焼く被害が発生した。この1件や利用状況の向上を背景に、施設の不便さと限界が露呈し、移転早々に新館建設を求める声が高まり始めた。
※この「末広町の旧銀行建物へ(1973-1980)」の解説は、「水戸市立図書館」の解説の一部です。
「末広町の旧銀行建物へ(1973-1980)」を含む「水戸市立図書館」の記事については、「水戸市立図書館」の概要を参照ください。
- 末広町の旧銀行建物へのページへのリンク