木村庄之助 (26代)とは? わかりやすく解説

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木村庄之助 (26代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 09:28 UTC 版)

26代木村庄之助
26th Kimura Shonosuke
基礎情報
行司名 式守正 → 式守邦雄 → 5代式守与之吉 → 6代式守勘太夫 → 22代式守伊之助 → 26代木村庄之助
本名 あさい ただし
浅井 正
愛称 浅井庄之助
生年月日 (1912-01-02) 1912年1月2日
没年月日 (1984-03-27) 1984年3月27日(72歳没)
出身 日本愛知県幡豆郡豊坂村須美
所属部屋 井筒部屋君ヶ濱部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(木村庄之助)
初土俵 1919年5月
幕内格 1947年11月
三役格 1958年7月
立行司 1966年9月
引退 1976年11月場所
備考

26代 木村 庄之助(にじゅうろくだい きむら しょうのすけ、1912年1月2日 - 1984年3月27日)は、大相撲立行司の一人。本名は浅井 正(あさい ただし)。木村庄之助としての在位期間は1973年1月1976年11月井筒部屋君ヶ濱部屋所属。

人物

愛知県幡豆郡豊坂村須美(現在の額田郡幸田町須美)出身[1]

21代木村庄之助の弟子で、1919年5月式守正の名で初土俵。その後、式守邦雄を経て5代式守与之吉から6代式守勘太夫を襲名。1966年9月立行司に昇格、22代式守伊之助襲名。1973年1月26代木村庄之助襲名。 1976年11月停年退職。伊之助を38場所、庄之助を24場所、計62場所立行司を務めた。立行司在位数は停年制実施後27代庄之助の102場所に次いで第2位である。

立行司としては、大鵬北の湖の両横綱を捌いた唯一の行司であった。

22代伊之助時代の1969年昭和44年)3月場所2日目に、前頭筆頭戸田(後の羽黒岩)-横綱大鵬戦を裁いた。戸田が大鵬を押し出したが、その前に戸田の足が土俵を割っていたとして大鵬に軍配を挙げた。しかし物言いがつき、協議の結果(春日野審判長を除く4人の勝負審判全員が戸田有利とした)、行司差違えで戸田の勝ちとなった。当時45連勝中の大鵬の連勝はこれでストップした。

翌日、新聞各紙の写真で、戸田の足が大鵬よりも先に出ていることが確認され、大鵬の連勝がストップしたことから「世紀の大誤審」として問題になった。この勝負が契機となり、相撲協会では勝負判定の際、ビデオNHK撮影のもの)を参考にすることになった。

同じく伊之助時代の1972年(昭和47年)3月場所7日目、横綱北の富士-前頭筆頭貴ノ花戦、12日目の大関大麒麟関脇長谷川戦の二番において差し違えた。二番とも取り直しの方が妥当と思えるような相撲だったが、13日目の朝相撲協会にさっさと辞表を提出、場所前25代木村庄之助が廃業したこともあり、当時立行司不在の場所は前例がないため、慌てた協会は「辞めることはない」と1日の謹慎処分とし、14日目から再出場した。1964年1月場所6日目、24代木村庄之助21代式守伊之助の両立行司が差し違えし、進退伺いを協会に提出、翌日時津風理事長は2人を戒告処分したという事例がある。

現役最後の一番は1976年(昭和51年)11月場所千秋楽、北の湖-輪島の横綱相星決戦。

明治生まれ最後の相撲協会員でもあり、26代木村庄之助の停年で明治生まれの相撲協会員は1人もいなくなった。

停年後まもなく、第27回NHK紅白歌合戦にて、村田英雄の「男の土俵」という曲の間奏部分に登場し、村田に勝ち名乗りを上げた。また同じく停年後、NHKテレビの「お達者くらぶ」という番組にゲスト出演し、生涯で最も印象に残っている一番として、大鵬-戸田の取組を上げ、「戸田の足が出ていることが確認できたので、自信を持って横綱に軍配を上げた」と語っている。この番組では、当時の取組のビデオフィルムも公開され、この取組が誤審であることが改めて確認された。

1976年、幸田町の名誉町民第1号として表彰された[1]。停年後、週刊誌の「角界浄化キャンペーン」で元行司の立場から八百長問題を証言した。

弟子に30代式守伊之助36代木村庄之助がいる。

その他

  • 1975年1月場所初日、東横綱北の湖の土俵入りの先導に現れなかったため、西横綱の輪島の土俵入りを先に行わせた。庄之助は「館内の混雑のため」と説明したが、翌日、花道の奥で談笑していたことが分かり、協会から大目玉を食ってしまった[2]

履歴

参考文献

脚注

  1. ^ a b 名誉町民”. 幸田町. 2017年10月28日閲覧。ウェブアーカイブ(2020年5月15日)WARP(インターネット資料収集保存事業)
  2. ^ 『大相撲を10倍楽しむ法―相撲のことなら何でもわかる』朝日ソノラマ(原著1992年10月1日)、201頁。 




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