木村と月刊誌『創』発行人による国家賠償請求訴訟
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「名古屋市女子大生誘拐殺人事件」の記事における「木村と月刊誌『創』発行人による国家賠償請求訴訟」の解説
木村は上告中、月刊誌『創』の発行人・対馬滋と文通で面会を約束し合い、1987年5月25日から7月6日にかけての計3回、木村の収監先・名古屋拘置所で、対馬が木村への接見を申し込んだ。しかし、拘置所側が求めた内容を公表しない」との誓約書の提出を対馬が拒否したため、接見は許可されなかった。木村・対馬両名はこれを「取材目的の面会を不許可とした拘置所の措置は不当で、憲法14条で保障された『表現の自由』の侵害であり、憲法違反だ」として、国・名古屋拘置所に不許可処分の取り消し、慰謝料150万円の支払いを求めた損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所に起こした。この訴訟で、木村に対する本人尋問が、1991年(平成3年)5月20日に名古屋拘置所で行われた。尋問で、木村は全国の死刑囚で作る「麦の会」入会への経緯や、自分自身で考えた罪の償い方、死刑廃止への思いなどを約4時間にわたり陳述した。また、木村は事件報道について「記者が自分に面会した上だったら、一方的な書き方にはならなかった」と述べ、取材目的の面会の必要性を訴えた。 1992年(平成4年)4月17日、東京地裁民事第2部で、この訴訟の判決公判が開かれた。涌井紀夫裁判長は「日本国憲法は、報道機関が拘置者に直接取材する自由までは保証していない。木村との面会が、死刑囚側のプライバシーなどを侵害する恐れがあるとした拘置所長の判断には合理性があり、処分に過失はなかった」として、拘置所側の裁量権を認め、対馬らの訴えをすべて退ける判決を言い渡した。判決理由で涌井は「未決拘置者は原則として、一般市民としての自由が保障され、外部の者との面会も許されるが、拘置者側の利益を不当に侵害する恐れがある場合には、誓約書の提出など、面会に条件を付けることもやむを得ないという、拘置所長側の考え方にも合理性はある」と判断し、その上で「対馬は誓約書に反し、拘置者との面会内容を公表したことがあった。今回の拘置所側の処分が『違法』とは評価できない、という考え方もある以上、過失は問えない」と結論付けた。原告側は判決を不服として、東京高等裁判所に控訴した。 1995年8月10日、東京高裁で控訴審判決公判が開かれた。時岡泰裁判長は請求を退けた第一審判決を支持し、対馬らの控訴を棄却する判決を言い渡した。判決理由で時岡は「取材・報道の自由が何の制約も受けないというものではない」と述べ、対馬が別の拘置中の人物の接見内容を、雑誌に公表した経歴があることなどを指摘した上で、「接見を認めなかった拘置所長側の判断には合理性があり、適法だ」と述べた。原告側は判決を不服として、最高裁判所に上告した。 最高裁第三小法廷(千種秀夫裁判長)は、木村の死刑執行後の1998年(平成10年)10月27日の判決公判で、「対馬は以前にも別の在監者との面会の際、『内容を記事にしない』との誓約書を出しながら、誓約に反して面会内容を雑誌に公表しており、面会を不許可とした拘置所長側の判断は合理的根拠がある」などとして、訴えを退けた一・二審判決を支持し、対馬らの上告を棄却する判決を言い渡した。
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