木村と菊田幸一による国家賠償請求訴訟
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「名古屋市女子大生誘拐殺人事件」の記事における「木村と菊田幸一による国家賠償請求訴訟」の解説
1995年(平成7年)1月12日、木村と菊田幸一(当時:明治大学教授)は、手記出版の打ち合わせのために求めた面会を拒否されたのは「外部交通権」の侵害で違法だと訴え、国を相手に150万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。訴状によれば、菊田らは前年(1994年)8月、木村の手記出版準備のため、収監先の名古屋拘置所を訪問したが、拘置所長は「死刑囚の面会は家族・弁護士に限られる」として、菊田らの面会申し込みを拒否した。手記は、編集者が削除した部分などについて、木村の完全な同意を得られないまま、インパクト出版会から、『本当の自分を生きたい』のタイトルで1月に出版された。 当初は木村・菊田と他1人の計3人が原告だったが、その後、木村の死刑が執行されたため、原告は菊田ら2人となった。東京地裁(市村陽典裁判長)は2000年(平成12年)1月28日の判決公判で、「死刑確定者の心情安定などの観点から、面会を拒否した拘置所長の判断に違法な点はない」と指摘し、菊田らの請求を棄却する判決を言い渡した。
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