木心乾漆千手観音立像とは? わかりやすく解説

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木心乾漆千手観音立像(金堂安置)

主名称: 木心乾漆千手観音立像(金堂安置
指定番号 40
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

木心乾漆千手観音立像(面部欠)

主名称: 木心乾漆千手観音立像(面部欠)
指定番号 3414
枝番 01
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 奈良
年代 鞘仏 南北朝
検索年代
解説文:  道成寺本堂内内陣秘仏として祀られる木造千手観音立像(鞘仏)とその像内に胎内仏として奉籠されていた木心乾漆千手観音立像である。
 胎内仏昭和六十二年度からの本堂解体修理時の秘仏千手の移安の際に発見されたもので、大略の一材を木心とし、膝から脛部の別一材を矧足して像の概形荒彫し、木屎漆盛上げ塑形しているが、現在、木心の朽損甚大面部のすべてと躰部正面大方失われている。
 しかし、像背面部は髻先から裳裾到る大略残しており、幅広い背中から引き締まった胴部逞しい張をみせる腰へと続く豊かでのびのびした造形には、奈良時代聖林寺木心乾漆十一面観音立像国宝)や愛媛・庄部落木造菩薩立像重文)に近いものがある。
 の別材製の脇手もその半近く残しており、体部取付けるための長大な〓、上・前膊を接合する相欠き矧、太い釘の使用など、古式であり、頭髪衣部厚く木屎漆用いながら、その背面省略しているあたり、奈良時代後半の製作と考えられる
 近時道成寺境内の発掘調査が行われ、複廊そなえた八世紀伽藍存在確認され寺伝にいう大宝元年(七〇一)文武天皇勅願寺はともかく、その創建古さ実証されたが、本像も本創建期に遡る遺例考えられよう。
 本堂内内陣北面して祀られる故に、「後立本尊」あるいは「北向観音」と呼ばれる木造千手観音立像は、この木心乾漆像をその胎内納めるためのいわゆる鞘仏として造立されたものであることがその構造上からも明らかで、すなわち、躰部は背面および両側材を凹形に矧寄せたのち、正面材を板状にあてるという独特の木寄せ示している。このような特異な構造の故であろう、躰躯は角張って衣文彫り浅く形式的に整えられているが、頭部は鞘仏の制約離れて堅実にとめられ面長な相貌南北朝時代特色あらわれている。
 現存本堂は、板壁墨書銘や鬼瓦寄進銘から正平十二年(一三五七)から天授四年(一三七八)の間とされているが、北向観音この間の製作とみて矛盾がなく、本寺創建期に遡る木心乾漆像を伝世せしめた鞘仏の大作としてみのがせない



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