有名な暗殺疑惑
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976年11月14日(開宝9年10月20日) - 宋皇帝趙匡胤(太祖)。当時太祖は病床に伏せっていたが、弟である晋王・趙匡義が見舞いに駆けつけるなり太祖の死が公表された。太祖の遺言で晋王は跡を継いで皇帝となったが、太祖には実子がいたために、その遺言や死の経緯に疑義が持たれた。この疑惑は宋朝一代の後も長く囁かれ、千載不決の議と呼ばれる。 1718年11月30日 - スウェーデン王カール12世。ノルウェーの要塞で狙撃されたものの、ノルウェー側の関知しない銃撃であった為。味方からによる狙撃の説もある。また1994年以降、暗殺説が浮上している。しかしながら黒幕が不特定な為、暗殺説否定も根強い。 1946年6月9日 - タイ国王ラーマ8世。宮殿で銃の暴発により死亡とされているが、状況に不明な点が多く、当時の警察が検死結果から他殺説を示唆するなど、暗殺説がある。一説には旧日本軍参謀辻政信が関与していたともいわれるが、当時辻は中国にいたとされ、真相は謎のままである。なお、現在でもタイ国内でこの事件について触れるのはタブー(不敬罪にあたる可能性があるとして)となっている。 1983年1月9日 - 中川一郎衆議院議員中川の死から5日後の1983年1月14日、東京のソ連大使館からモスクワに宛てたKGBの暗号電報に、ソ連のスパイであり、テレビ朝日専務だった三浦甲子二の話として「中川は明らかに他殺だ。CIAの手先に消された」と記されていたことが明らかになっている。ほか、「鈴木宗男はCIAと結託して中川を収賄疑惑に引き込んだ」との記述も確認されている。 1991年7月11日 - 筑波大学助教授五十嵐一(悪魔の詩訳者殺人事件)筑波大学内で刺殺された。犯人は捕まらなかったが『悪魔の詩』翻訳者であることからムスリムによる暗殺という見方が強く、あるイスラム教国からの留学生が容疑者としてたびたびメディアに取り上げられた。 1996年4月14日 - 相撲界の八百長を告発した高鐵山孝之進と橋本成一郎が同じ病院で同日に全く同じ病気で死亡したため、日本相撲協会の利権関係者による暗殺説が囁かれた。 2001年6月1日 - ネパール国王ビレンドラら王族の銃殺事件(ネパール王族殺害事件)。宮廷晩餐会の席上、皇太子ディペンドラにより銃撃され死亡したとされた。だが、実際は王位を継承した王弟ギャネンドラによるクーデターとの見方がある。
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