旧庁舎の歴史的・文化的・意匠的側面
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「旧加悦町役場庁舎」の記事における「旧庁舎の歴史的・文化的・意匠的側面」の解説
1927年(昭和2年)3月、当地はマグニチュード7.3の北丹後地震に襲われ、同じ場所に建っていた当時の庁舎は倒壊した。その直後から隣接する加悦小学校の一室での業務が再開。5月には仮庁舎も建設された。町会議事堂の建設計画が持ち上がったが、役場庁舎機能が仮庁舎のままで、必要な諸室の確保ができないことから見直され、役場庁舎と町会議事堂の機能を兼ね備えた旧庁舎が建設された。 スペイン南部発祥の建築様式である、スパニッシュ・ミッション様式の赤瓦屋根であり、クリーム色の外壁左右対称の外観が特徴となっている。これは今林彦太郎が活躍していた当時の大林組が得意としていたものである。なお、様式の名称にある、ミッションは修道院を意味している。また、旧庁舎は、重要伝統的建造物群保存地区であるちりめん街道内にあり、7~8割が昭和20年代に建てられた木造建築物が建ち並ぶ地区である。その中でも近代的な象徴である洋風建築物の旧庁舎はちりめん街道の町並みのアクセントとなっている。 イギリス人貿易商の邸宅である建築学的にも価値のある神奈川県横浜市にあるベーリック・ホールと外観が似ているといわれ、この建物が建っている山手地区内では、戦前の建物で最大規模であることからも、旧庁舎のあるちりめん街道の繁栄ぶりもうかがわせる。なお、建築年はベーリック・ホールよりも早い。 外観の装飾は、3カ所のメダイオンと1階窓まわりのアーチ状の繰り型程度で端正な意匠をしており、また、南面には意匠を凝らした出入口があり、議場の出入口であったということもあるが、ちりめん街道への敬意を込めているといわれている。 建築にあたって、震災を教訓としており、耐震性能についても熟考がなされた。旧庁舎が簡素な平面・立体構成になっているのは、地震に強い構造だからである。さらに鉄筋コンクリートの外壁を採用しているのも、地震後の火災からの延焼を防ぐためである。そのことからも、震災からの復興のシンボルとなっている。
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