日活多摩川撮影所長とは? わかりやすく解説

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日活多摩川撮影所長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:35 UTC 版)

根岸寛一」の記事における「日活多摩川撮影所長」の解説

1934年昭和9年)、日活社長松方乙彦は、その親戚で「新聞連合社長岩永裕吉推薦され根岸存在を知る。翌年1935年昭和10年10月日活入社した根岸は、日本映画京都東活映画社残党設立、まもなく倒産)から買収したばかりの「日活多摩川撮影所」(のちの角川大映撮影所)の所長就任ここから日活辞するまで、「多摩川の父」と呼ばれ所員から親しまれ根岸のもとで、内田吐夢監督の『人生劇場青春編』や『土』など、日本映画傑作力作怒涛の如く生み出されるカネは無いから酒は出せないが、お茶でも飲みながら好きな話をしようと、部署役職抜きにした茶話会で皆と意見交換したブレインストーミングを度々開いた。しかし経営基盤の弱い日活内部では紛争次第拡大1938年昭和13年3月23日、「松竹走狗となって日活乗っ取り図った」との理由取締役罷免される根岸を慕う撮影所従業員一致団結してストライキ気勢を示すが、前年就任した森田佐吉社長多摩川撮影所刺青者ヤクザ動員して乗り込み所員集めて根岸寛一という男はもと左翼無政府主義者崩れで、抗日支那人同類である」と演説同年5月3日横田永之助日活創始者)、大谷竹次郎巨頭会談によって紛争一段落構え見せ根岸罷免撤回される。撮影所実権握りたい反対派から「根岸浅草時代借金返済のために会社の金を着服している」とする中傷まで浴びたが、毎月給料の中から少しずつ払っているのが実情だった。このような環境根岸にもやりきれないのだった6月突如辞表提出撮影所スタッフから慰留されるが満州よりの誘いもあり、マキノ光雄、江守清郎らとともに満州映画協会へ去る。根岸去った後、日活内部では松竹東宝株式買収合戦繰り広げられ訴訟合戦泥仕合発展

※この「日活多摩川撮影所長」の解説は、「根岸寛一」の解説の一部です。
「日活多摩川撮影所長」を含む「根岸寛一」の記事については、「根岸寛一」の概要を参照ください。

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