日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:27 UTC 版)
「トヨタ自動車」の記事における「日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ」の解説
奥田は創業家出身の章一郞会長を後ろ盾に、業績が下降していたトヨタを再生させ、積極的な海外販路拡大路線を開始した。1997年に高級SUVの先駆けとなるハリアーと、世界初の量産ハイブリッドカープリウスの販売を開始し、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。張は奥田の海外販路拡大路線を推進し、2002年以降は年間50万台ものペースで海外販売台数が急拡大し始めた。2003年に2代目プリウスの販売を開始したが、この成功は「ハイブリッドカーを擁する環境先進企業・トヨタ」のイメージを確立させる事に成功した。2000年から部品の設計開発段階からの原価低減を目指したCCC21活動を開始し、ピーク時の2003年に3,000億円の原価低減を達成した。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、トヨタグループの連結子会社の合計は264,096人で日本最大、世界で第三位の企業規模となった。2004年に旧ネッツ店とビスタ店を統合して新生・ネッツ店として再出発した。 傘下企業の関係強化も進み、1998年にダイハツ工業、2001年に日野自動車の株式の過半数を取得した。 2005年に張の後任として渡辺捷昭が社長に就任した。渡辺も、奥田社長時代以降続いている拡大路線を継続しつつ、CCC21活動を発展させてシステム単位で原価低減を目指すVI活動を開始した。同年、トヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が完成。8月にレクサス店を日本へ導入した。10月にゼネラルモーターズが保有する富士重工業の約20%の株式のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表した。2007年に世界販売台数が過去最多の936万6,418台を記録し (世界2位、生産台数は世界1位)、2008年3月期の連結営業利益も過去最高となる2兆2,703億円を記録した。2007年に、名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。
※この「日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ」の解説は、「トヨタ自動車」の解説の一部です。
「日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ」を含む「トヨタ自動車」の記事については、「トヨタ自動車」の概要を参照ください。
- 日本一の企業、世界一の自動車メーカーへのページへのリンク