日本の言語学での共通語
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日本では明治初期まで話し言葉は容易に通じるものではなかった。1811年(文化8年)の式亭三馬の『狂言田舎操』巻之上では江戸から20町も離れると江戸とは違う言葉が話されていると記されている。また明治6年から翌年にかけて『文部省雑誌』に掲載された西潟訥の「説諭」には「奥羽の民……上国ノ人ト談話スルニ言語通セサルモノ甚多シ」と記されている。そのため人々は他地域の人々との間では日常の会話では使わない文語を話して意思疎通を図っていた。 1902年(明治31年)、国語調査委員会で方言を調査して標準語を選定する基本方針が決まった。1930年代半ばには標準語が次第に定着したが、列島内の言語の違いが簡単になくなったわけではなく、それが浸透したのはテレビが普及した高度成長期といわれている。 1949年に国立国語研究所が福島県白河市で学術調査を行った際、東北方言と標準語の中間のような日本語を話す話者がいることが確認された。これについて国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。ただし、この「共通語」とは標準語を否定するものとして登場した語ではない。以後、「共通語」という語は標準語にかわる言葉として学校教育や放送の場で広く用いられるようになった。その背景としては、明治政府が中央集権国家確立のために標準語の普及に努め、方言を無視・撲滅しようとしたことに対する反発がある。ちなみに、「共通語」という言い方は戦時・戦中に使われた例もあり、戦後に登場したものではない。 「共通語化」は、戦後、ラジオやテレビの普及に伴い、急速に進んだ。ラジオの放送開始は1925年だが、戦前の普及率は著しく低く、共通語を話せる人は一部の教養層に限られていた。 最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「標準語という用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。柴田は、1980年に出版された『国語学大辞典』において、共通語と標準語の定義の違いについて、次のように述べている。 共通語は現実であり、標準語は理想である。共通語は自然の状態であり、標準語は人為的につくられるものである。したがって、共通語はゆるい規範であり、標準語はきびしい規範である。言いかえれば、共通語は現実のコミュニケーションの手段であるが、標準語はその言語の価値を高めるためのものである。 — 国語学会編『国語学大辞典』東京堂出版、1980年9月 なお、共通語は公式・法的に定められてはいない。
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