日本の終戦から事件発生までとは? わかりやすく解説

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日本の終戦から事件発生まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:01 UTC 版)

松江騒擾事件」の記事における「日本の終戦から事件発生まで」の解説

1945年昭和20年8月15日正午昭和天皇による玉音放送によってポツダム宣言受諾国民伝えられた。翌8月16日付『島根新聞社説では、これを「休戦詔勅」と伝えた国民に「国体護持」を告げた鈴木貫太郎内閣総辞職し17日には東久邇宮内閣発足した政治的激動迎えるなか、島根県知事であり島根県国民義勇隊本部長でもある山田武雄15日告諭発し内省痛恨銘記と、自暴自棄嫉視一億同胞亀裂生じないよう県民求めた翌日16日には「祖国復興」「皇国復興」のために県民結束勝ち取るという目的から「県民指揮方策大綱」を決定し、その冒頭では「今次外交折衝経過内容及び戦争終結の止むなきに至った事態出来る限り県民発表」するという方針掲げられた。また3・5・6項では県民自身内省基づいた戦争責任分有求め他者への敗戦責任追及遮断天皇への臣従求めていた。このように当局秩序維持動いている一方で、軍当局県民に対して引き締め行っていた。17日小川松江地区司令官は「休戦大詔拝したといってあたかも和平訪れたように考えたり、また憶測に基づく流言飛語に迷うことは危険である」とし、「大詔趣旨沿って講和条約結ばれるまでは敢闘精神堅持なければならない」と語った。 この8月15日終戦前後して軍隊内部では宮城事件霞ヶ浦航空隊厚木航空隊抗戦呼びかけ基地占拠などの動きがあり、また民間では愛宕山での尊攘同志会会員立てこもり自爆があった。これらはいずれ22日までには鎮圧されたが、島根県松江市では8月17日から19日にかけて、隣県鳥取県美保航空隊基地から飛来し海軍機が「断固抗戦」のビラ撒き市内にも「ソ連打倒聖戦完遂」の張り紙なされた。また鹿足郡柿木村では20日新村選任に際して本土決戦意識されている。東京・大阪などの空襲惨状をみれば、日本戦争遂行能力がなかったことはあきらかだが、このような戦災を受けなかった山陰地方では、本土決戦はまだ可能かにみえた。そのことが、事件発生素地ひとつになっている。

※この「日本の終戦から事件発生まで」の解説は、「松江騒擾事件」の解説の一部です。
「日本の終戦から事件発生まで」を含む「松江騒擾事件」の記事については、「松江騒擾事件」の概要を参照ください。

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