日本の主張の概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:29 UTC 版)
詳細は争点の項を参照 日本側の主張によれば、現在の竹島は江戸時代には既に日本人によって政府(江戸幕府)公認の下で鬱陵島に渡る際の航行の目標及び船がかり(停泊地)やアシカやアワビなどの漁猟として利用されていた。その後、明治政府は1905年(明治38年)1月の閣議決定で無主地であった現在の竹島を島根県 隠岐島司の所管としたとしている。 韓国側が領有の根拠としている古文献や古地図に登場する「于山島」については、これが現在の竹島だとする主張は事実にそぐわず、根拠がないとしている。他方、日本側が現在の竹島の存在を古くから認知していたことは数多くの文献や地図から確認できるとしている(詳しくは于山島を参照)。 また、1952年に韓国の李承晩大統領が設定した李承晩ラインは一方的なものであり、加えて、その後李承晩ラインが日韓基本条約によって廃止されたにも関わらず韓国が警備隊を常駐させ竹島を占領し続けていることに国際法上何ら根拠がないと主張している。また、日本側が平和的解決を求め国際司法裁判所に付託することを何度も韓国側へ提案するも応じていないことも問題視している。 日本の江戸時代の松島(現在の竹島)を示す地図 日本では、江戸期に現在の竹島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と呼んでいた。(「嶋」・「嶌」は「島」に同じ) 『松嶋絵図』(1656年頃) 『竹嶋之図』(1724年) 鳥取藩作成 『竹嶋之図』(1724年) 鳥取藩作成 『竹嶋之図』(1724年) 鳥取藩作成 長久保赤水『改正日本輿地路程全圖』(1775年)部分:神戸大学住田文庫所蔵 木村蒹葭堂『華夷一覧図』(1790年) 山村才助『華夷一覧図』(1806年):国立公文書館所蔵 高柴栄三雄『大日本國郡輿地全圖』(部分)(1849年)長久保赤水の図に手を加えた地図:東北大学狩野文庫所蔵 長久保赤水「亜細亜小東洋図」(写本、1857年)部分
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