日本に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:27 UTC 版)
「ヘンリー・キッシンジャー」の記事における「日本に関して」の解説
日本については、経済大国である以上政治・安全保障両面でも大国として台頭しようとする欲求を持つだろうとの見方を一貫して示している。特に、1971年の周恩来との会談で日米安全保障条約に基づく在日米軍の駐留が日本の「軍国主義」回帰を抑えており、同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始めると警戒感を示した「瓶の蓋」論は有名である。冷戦後間もない時期の著書である『外交』でも将来日本が政治的に台頭するとの予測を示した。2008年1月放送の「日高義樹のワシントン・リポート」でも変わらず、「日本は10年後に強力な軍隊を保有しているだろう」と述べ、日本の核武装や憲法改正については「日本が決めることだ」と発言している。 佐藤栄作首相の密使として沖縄返還交渉に当たった若泉敬の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994年)によると、キッシンジャーは1969年11月に、「返還後も緊急事態の際に事前通告により沖縄に核兵器の持ち込みおよび通過を認める権利」を要求、若泉との交渉により「事前通告」を「事前協議」とすることで諒解したという。この条項を含む密約の存在について、1995年にNHKの取材を受けたキッシンジャーは、「お国(日本)の政府に聞きなさい」と返答を拒んだ。その後、2007年に信夫隆司・日本大学教授によるアメリカ国立公文書記録管理局での機密解除公文書調査で、キッシンジャーが1969年11月19日から21日にかけての日米首脳会談のためにニクソンに宛て作成した、核密約締結手順を記載したメモが発見されている。 田原総一朗に日本への原子爆弾投下についてインタビューされたことがあり、「あなた方は広島と長崎に原爆を落とした。そしてまったく何の罪もない一般市民を大量に殺した。この責任をアメリカはどうとるつもりなのか」と聞いたら、キッシンジャーは「広島と長崎に原爆を落とさなければ日本は本土決戦をやるつもりだった。本土決戦で何百万人、あるいは一千万人以上の日本人が亡くなるはずだった。原爆を落とすことでその人数をかなり減らしたんだから、むしろ日本はアメリカに感謝すべきだ」と答えたという。
※この「日本に関して」の解説は、「ヘンリー・キッシンジャー」の解説の一部です。
「日本に関して」を含む「ヘンリー・キッシンジャー」の記事については、「ヘンリー・キッシンジャー」の概要を参照ください。
- 日本に関してのページへのリンク